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中高年が居づらい雰囲気に…

人員整理のうわさもチラホラ

広島県・印刷労働者 池田 孝司


 労働新聞の読者の皆さん、こんにちは。
 私は従業員は約三十人の印刷会社で働いている、四十九歳の独身男性です。年金生活の七十九歳になる父と七十一歳になる母との三人暮らしです。
 今の会社に入社して今年で十五年になりますが、入社当時からいる人は社長だけで、人員はすっかり変わってしまいました。古い順からいけば、私はナンバー2になることになります。中小企業ではそれだけ人の入れ替わりが激しいのでしょうか。年齢構成も、入社時私は三十四歳で、一番若いぐらいでした。ほとんど四十〜五十歳代の人で占めていました。それだけ経験がものをいう仕事でした。今は、ほとんどの人が二十歳代で、四十歳以上は、五、六人です。
 会社にとっては、年をとってあまり長くいてもらっては困るのでしょうか。なんとなく居づらい雰囲気です。そんなに高い給料をもらっているわけでもないのにと思うのですが。
 二年前課長になりましたが、責任だけ重くなって役職手当が少しついただけです。昨年の秋には会社を辞めてほしいようなことも言われましたが、就職難のおり、なんとか居すわることができました。現在の給料は表の通りです。残業がない月は手取りで二十万円をきることもあります。ボーナスは、年二回ですが、一から一・五カ月分です。昨年の源泉徴収票をみると、支払い総額が約四百三十四万円となっていました。
 テレビで結婚したい男性の年収は、七百万円以上とかいうのを見ると、五十歳近くになって四百万円台とは…。
 今の会社に入社して五年ぐらいの間は、写真植字機という機械を使って文字組みの仕事をしていました。その後、コンピュータを使った組版機になり、写真植字機は、廃止されることになりました。長年つちかってきた技術があっというまに無意味なものになってしまい、仕方なくまた一から勉強しなおしました。

受注単価は下がる一方

 入社当時は景気もよく、もうかっていたようでしたが、しばらくして不況になり何人かが首を切られました。一時は二十五人に減っていたのですが、バブルの時期に盛り返し、今の人数になっていますが、再び不況におちいり人員整理のうわさがチラホラささやかれるようになっています。  一昔前までは、印刷というのは誰にでもできるものでなく、文字組みにしても印刷にしてもベテランの技術者が必要な仕事でしたので、社会全体での需要は十分ありました。しかし、コンピュータやワープロが発達し、誰でもが気軽にきれいな印刷物を作れるようになったため、印刷会社にたのんで作る印刷物の需要はめっきり減ってしまいました。
 そのため、印刷会社間の仕事の取り合いが激しく受注単価は下がる一方です。昨年百五十万円で受注した仕事が今年は六十五万円で他社がとっていったというような話が、営業会議の中でしばしばだされています。過当競争の中で、わが県でもいくつかの印刷会社が倒産しました。家族で経営しているようなところでは、廃業するところもでてきています。
 昔から印刷業というのは、低賃金、長時間労働の代表的な産業でしたが、残業時間もめっきり減ってしまい、なんとか残業手当でやりくりしていたのがそれもままならなくなってきています。遅くまで残業していると、白い目でみられます。納期に間に合わせるために毎日時間に追われながらの仕事で、精神的にもまいっています。定時間内に終わらなかった仕事は家に持ち帰ったり、タイムカードを押して、続きの仕事をしたりしています。入社当時は「夜遅くまでよくがんばるね」とほめられていたのが、今では遅くまで会社にいると、何か悪いことでもしているかのような雰囲気です。
 利益を出す会社がよい会社なのでしょうか? 利益を出すために給料を低く抑えられ、残業が規制され、年配の人が辞めさせられる。十年ぐらいですべての従業員が入れ替わってしまうような会社が利益を出すのは誰のためなのでしょうか。その会社で働く人たちが豊かな生活をおくれるようにすることを第一に考える会社が良い会社といえるのではないでしょうか。 


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