二、三週間前だったか、近所のラーメン屋で遅い晩飯を食べていると、ニュース番組でアナウンサーが「買春」を「かいしゅん」と言った。
アナウンサーの間違った読みはときどき耳にするので、はじめは単なる読み違いだろうくらいに思っていたが、妙に尾を引く。
後日、友人の一人に、
「最近は、『ばいしゅん』の売るほうと買うほうを区別するために、買うほうは『かいしゅん』と言うのかい?」
と電話で尋ねると、「オレもあの番組を見ていて、オイオイと思った」と言う。
彼は『労働新聞』(九月二十五日号)一面の見出し「一部のベンチャー〜」のー(音引き=オンビキ)は間違っていると指摘したくらいで、言葉にはうるさい人なのだ。
ところが、この原稿を書こうとして『広辞苑』(第五版)を引いて驚いた。
「売春」の次に「買春」の見出しがあって、
「男が報酬を与えて女の操を買うこと。一九七〇年代半ばから、売春は男の側にこそ問題があるという観点からいわれた語。かいしゅん」
とあるではないか。
ちなみに、第四版でも同じ説明がしてあるが「かいしゅん」は載っていない。
では、「かいしゅん」をのぞいてみることにしよう。
かいしゅん[買春]「買春ばいしゅん」を同音の「売春」と区別するため湯桶読みにした語。
湯桶(ゆとう)読みは重箱読みの逆で、二字熟語の上の字を訓読み、下の字を音読みにすることだ。
しかし、こんな姑息(こそく)な手段できちんと区別がつくのだろうか。テレビ画面に「買春」という文字が出ていて「かいしゅん」と読めば、なるほどねえ、買うからカイシュンか、と思ってもらえるかもしれない。だけど、ラジオはどうするんだっ!
(オジさんは怒ってるんだ)
「かいしゅん」ですぐに思い浮かぶ言葉は「回春」と「改悛」。で、「ひんしゅくを買う日本人男性のかいしゅんツアー」なんて聞いても、「おじいさんたちがバイアグラを買いにどっか行くんだろ。なんで非難されるわけ?」くらいに思うのが関の山だろう。「ばいしゅんツアー」と言えば、読みを変えなくても文脈から意図は明確に伝わるのだ。
売価と買価の区別はどうする。いずれ区別するんだろうか。「ばいか」と「かいか」にしてくれなくっちゃ、まぎらわしくて商売やってらんねーや、という話は聞いたことないが。
『大辞林』(第二版)には売電と買電だって出ているぞ。ソーラーシステムを取り入れた家が増え、余った電気を売るなんてことが盛んになったらどうする?言葉っていうのは進化するのか退化するのか……。
最後に少々おつきあいを。
『広辞苑』が手元にある人はようきん[洋琴]を引いてください。第四版なら「竹製の槌で打って鳴らす。楊琴。ヤンチン」とある。しかし、第五版では楊琴ではなく正しく揚琴となっている。
広辞苑編集部によると「広辞苑初版で揚琴とあったものを、第二版において組み替えた際、楊琴と誤ったもの」だそうで、第二版から第四版まで一貫して間違っていた。僕の指摘もあって広辞苑は進化したのだ。エヘン。
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