私は、JRで電車の検修をしていました。それが突然、駅に転勤となりました。簡単に言えば、二十年以上電車の修理をしていたのが、合理化施策により営業の仕事になったわけです。前の職場では管理職による国労組合員への脱退工作が行われていて、私もその対象となったのです。
昨今、労働組合の影響力も薄れがちですが、組合役員をしていた私のところにも管理職の手が伸びたということです。それだけ自分自身にもスキがあったということだと思います。
巧妙な組合脱退工作
自分の好きな仕事にもつけず(もちろん当たり前ですが)、これから先がんばれるんだろうか? これから労働者は本当に勝てるんだろうか? 国労に残ってがんばることが労働者として正しい道なのか? 勝てる道なのか? いろいろ考えた時期もありました。しかし考えてみると、いくら将来に不安があっても自分の生き方に不安をもっていても、組合を変わるような理由がどこにもない。他に魅力ある組合などない。まして、管理職に言われてまで組合を替わる理由は、どこにもない。
さて、管理職のやり方は巧妙で、一時期自分の好きな仕事を与えて現場から離し、脱退工作を続けてきました。
以前の職場の仲間からは「あいつはもうだめだ」「出世コースに乗ったな」「すぐに組合を替わるだろう」とうわさされました。
ほんとうに模索する毎日が続きました。今までいっしょに闘ってきた同じ組合の仲間でさえ、疑いの眼で見ている。なんということだと、愕然(がくぜん)としました。こうやって多くの仲間が脱退していったのだなと思いました。
さて一方で、同じ国労の仲間からは「もう組合を替わったらどうだ」「国労でがんばってもだめだぞ。俺は年だから国労でがんばるけど、君はまだまだ先があるから転機だと思って組合も替わり、がんばったらどうか」などなど、意見はさまざまでした。
職場では私の話で本当の事からウソまで話題になっていたそうです。組合内部でも管理者でもデマを流す連中がいるのも事実です。管理者が猫なで声で声を掛けるし(今までとは態度が一変した)、組合役員、先輩、OBと、いろんな人を使い説得させる。あの手この手を使ってきました。私自身にとっては絶体絶命のピンチでした(大げさですが)。
そんな中、何かと相談に乗ってくれる先輩もいました。いつも「がんばらないとだめだ」と言ってくれました。
妻にまで電話が…
さて、そうこうしているうちに、会社はとうとう妻にまで電話をして私を説得してくれるように頼みました。その時に「もし替わらなかったら遠い所に転勤になるかもしれませんよ」と脅しまでしました。家庭にまで土足で踏み込まれたような心境でした。
なんとか国労のままでこの仕事を続けたいとも思いました。しかし、それを可能にするのは、組合を替わるしかなかったのです。結局、自分の欲で組合を替わり好きな仕事をするか、駅かどこかに飛ばされるかという選択だったのです。
その結果、一年間、現場から離されて脱退工作を続けられましたが、とうとう駅に見せしめ的に転勤となったわけです。まさに転職したような気分でした。がっかりもしました。妻にも「我慢できなかったら会社を辞めるぞ」と言いました。
選択は間違っていなかった
転勤して数カ月が経ちました。
ある人が「駅は人生の縮図」と言っていましたが、まさにその通りだと思います。
駅の職員にしても、単身赴任、分割民営化の時に転勤した人などで、地元の人間はほとんどいません。多くの人が以前は全然違う仕事をしていた(合理化で駅に出された)。それはそれは、いろいろな経験をしてきた人が多いのです。
改札を通り行く人もさまざまで、職安に向かう人、酔っ払い、夜遅くに塾から帰る小学生、疲れきったサラリーマン、まあさまざまです。世相をまじかで見ているようなものです。
結局、こうやって会社は私を一人前の労働者になるように鍛えてくれているんだなと思います。人生の選択は間違ってなかった。とりあえず元気でがんばってます。
最後になりましたが、結局、これからが労働者にとって本当の力を試される時代になってきたんだと思います。だんだんと白黒が見えやすい時代になってきのではないでしょうか。がんばりたいと思います。
Copyright(C) The Workers' Press 1996-1999