990825


頭へくる「自自公」体制

この流れを変えていかねば

鈴木 雄一


 この国の政治はおかしいと前々から思っていたが、近頃のあり様は「ヒドイ」を通り越してしまった。

 「新ガイドライン」「盗聴」「日の丸・君が代」「国民総背番号制」の法制化、介護保険問題など、枚挙にいとまがない。この国の民主主義など絵空事と思っていたが、「自自公」になって、独裁的な警察国家になってしまった。政治は国民のものではなく、一部政党のものとなり、「平和への道」は脅かされ、アメリカの属国がより顕著になった。

 「教育って怖いな」と思う。教えるべきことを教えない。文部省はそうやって教育を自由にあやつってきたのだと、近頃はとみに感じるようになってきた。「日本がアメリカと戦争をした」だとか、「アジアに侵略して、多くの人を殺してきた」ということを学校ではきちんと教えない。戦争を知らない若者がいる。戦争を知っている世代もいて、戦争反対を言う年寄りもいるが、戦争を経験しながら、第二次大戦は「聖戦だ」という年寄りもいる。

 人の命をもてあそぶことには、不快感を感じる。次世代に不幸な体験をさせないことが責務なのに、戦争を礼賛する人間がいるのは不愉快だ。

   

 政治に対するあきらめ、無力感、不信、不満、ありとあらゆるいまわしい言葉があてはまる。政党は、選挙での公約を事もなげに変えている。この国をどこへ連れていこうとしているのか。

 最近、職場の仲間と政治の話をすることが少なくなった。私たちの気持ちを代弁する政党がなくなったことに対するいらだちが先にたってしまう。

 それでも私の周囲には、この現状を何とかしたいと思っている人がいっぱいいるのだが、その人たちを結びつける組織がない。個人では弱いから、より共通の思いを持っている人たちを結びつける組織がない。戦後五十年といわれながら、そのような組織に力をつけてこなかったことを後悔している。

 政治が悪い、自民党が悪い、野党はだらしがない。ずっと言われ続けてきたのに、政治が変わらなかったのはなぜなのだろう。一時期、五五年体制が崩れ、戦後の冷戦が終わったといわれてきたのに、今、時代は明らかに逆行している。新聞の投書を見ても、まわりの人たちの話を聞いても、そのように言う人は多い。

 この流れを何としても変えていかなければ、自分が生きてきた証(あかし)がなくなってしまう。まず、一歩を踏み出さなければ耐えられない。


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