990715


職場の兄弟労働者に思う

会社にすがるしかないのか

機械工場労働者 朝長 清


 全国の皆さんお元気でしょうか。今の職場で働きはじめてから七年が経過しました。私と同じ仕事場の二人の兄弟労働者(主として兄貴の方)との付き合いも同じ年数を数えたことになります。日常は無風状態の中で、ただ仕事をして後は家に帰る、その繰り返し。この兄弟は、今の会社が再建される前の倒産した会社のときからいますから、かれこれ十四、五年ほど同じ生活を繰り返していることになります。

 この兄貴は以前は労働組合運動でもがんばっていたそうです。その後自分で事業をはじめましたが石油ショックのころに倒産。借金地獄の憂き目にあって、現在に至っています。今や、かつて組合でやっていたという片りんさえうかがうことはできません。

 三、四年前になりますが、会社の方から「土曜休日出勤手当を今までの三〇%増から二五%にしてほしいと申し入れがありました。私は職場改善のチャンスはこのときとばかり、同僚である兄貴に働きかけました。ところが返ってきた答えは何と!「折れるべきだ。要求なんてとんでもない」。

 その半面、昼間の仕事をわざわざ引き延ばしたりして、まわりが帰ってからも、ときには深夜までも弟と二人で残業、残業なのです。弟のほうはたまったものではありません。ヒモで縛りつけられたように毎日毎日が生き地獄。その弟がいうには、「金、金、金んこつばかり! 兄貴も昔はこんなでなかった。事業が失敗してからおかしくなった」と。

 この人の人生はどこで狂ってしまったのか。すっかりやる気をなくし感情の発露などまったく見い出せないのです。口を開けば仕事の話とその自慢。そこだけが唯一の活路となってしまっているのです。職場をどうしよう、こうしようということとはおよそ縁遠い、別の世界。要求とか闘いとかすっかりかなぐり捨ててしまい、身も心も会社にすがりついて生きている同僚の兄貴。

 現在、この職場も仕事がなく、会社から人員整理などもいわれはじめるようになりました。ある朝、この兄貴がふともらしました。「明日はわが身。ホームレスになる身だろうか」。このことこそ本音なんだと思いました。

 私自身、変わらない職場の状況の中で、絶望のはざまに生きてきたのが事実です。しかし、この同僚についてよくよく見つめると、私的所有(資本主義)は人間が「痛い!」ということすらもはぎとってしまう、そんな社会だと思わずにはいられないのです。


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