990625


工場閉鎖にゆれる職場からの手紙

「病気の親を抱え転勤はできない

しかし職は見つかりそうもない」

自動車下請け労働者 八木浩(43歳)


 政府は、「雇用対策の補正予算のため」などといって、国会を大幅延長した。だが、真に急いでいるのは、大企業のリストラを後押しする産業競争力関係法案の強行である。それは、労働者の犠牲で大企業を救い、危機を打開しようとするものだ。いちだんとリストラ攻撃の嵐が労働者を襲うに違いない。これに坑するする闘いが緊急に求められている。工場閉鎖を間近にした自動車下請け会社で働く労働者から、手紙が寄せられたので掲載する。(中見出しは編集部)


「工場閉鎖」にピリピリ

 私は大手自動車メーカーの下請け工場で、二十年くらいスポット溶接をしています。そして私の働いている工場が閉鎖され、B県に生産拠点を移す話が出ています。

 三、四年くらい前から車が売れなくなり、一日の生産台数が以前の四割にまで落ち込んでいます。バブルの頃、親会社の指示でロボット化を進めましたが、いまのように生産が減って、夜勤もなくなると人間の方が安くつきます。生産が減り、ロボットの設備投資の減価償却もできずに、会社は赤字がドンドン増えてしまいました。

そのため、この期間に社長が二人かわりました。いまの社長は親会社のエリートでまだ若いですが、職場はかなり厳しくなりました。

 みんな精神的にも肉体的にも参っています。人員はギリギリになっているので休めません。職場はピリピリしており、うっかりものも言えない雰囲気です。職制は「ノルマができていない。バカヤロー」とケンカごしでやってきます。

ロボットよりしぼられる

 会社は「余剰人員」といいますが、現場の四分の一がA県への応援に出されました。そして「残った人間で仕事はやれる」と、一人も補充しません。私のところはこれまで四人で一時間六十台やっていたノルマを、二人で四十台以上やっています。どう考えても理屈に合いません。ロボットが精いっぱい仕事をするのではなく、人間がかけずり回っています。

 有給休暇も取れないし、病気で欠勤しても補充されない状態が続いています。先週、妻が病気になって入院させるため、朝会社に電話で休むことを伝えましたが、会社は「医者の証明書をもってこい」と言い出しました。こうしたいやがらせで気の弱い人は本当に何があっても休めません。休憩時間には「親が死んでも、死亡証明書をもってこいと言うんじゃないか」といった話がでています。

 賃金形態も変わってしまいました。基本給、職能給、年齢給などがいじられ、若手優遇となり、私など中高年の賃上げは低く抑えられました。今年の賃上げは平均で約四千円ですが、私はわずか二千円にもなりませんでした。実際に私の給料は、手当などを含めても三十万円ちょっとにしかなりません。ここからいろいろ引かれるので、残業がないと二十二万円程度です。

疑心暗鬼と不安な毎日

 会社に手袋やウエスなどを納品する小規模の業者の人たちは、このところ顔色が変わりました。これまでは、支払いはボーナス時に一括でよいなどと言っていましたが、毎月の均等払いにしてくださいと、会社に話しているそうです。納品に来た人たちを職場でときどき目にしますが、見るからに元気がないのがわかります。

 先日、久しぶりに駅前の酒屋に立ち飲みに寄りましたが、ほとんど人がいませんでした。これまでは、うちの会社だけでなく、他の社員が大勢来て飲んでいました。やっぱり、人が減っているんだなあと感じました。カネもないので、家で静かに飲んでいるのかなとも思いました。

 若い人の中には「B県の工場へ行っても、仕事がもっときつくなるので行かない」という人がけっこういます。もちろん、そんな話が会社に伝わるとボーナスにひびくし、職制から「いじめ」にあうので疑心暗鬼になっており、友達同士がそーっと話しています。

 われわれ中高年は、家のこと、子供の学校、親の面倒などいろいろあっておいそれとは行けません。作業事故で多少視力が落ちた人は、このままではどこも雇ってくれないだろうと、針灸師の学校に行っています。資格がないと再就職はむずかしいと、コンピューターや経理などの学校に行く人も増えています。

 なかには、冬のボーナスをもらったら会社を辞めてタクシーの運転手になるという人。農家出身の人は農業をやるといいます。でも誰もが本当に職があるのだろうか、生活できるのだろうかと、不安に思っています。私も病気の親を抱えており、とても行くことはできません。しかし、この不況で仕事が見つかりそうにもありません。不安な毎日を送っています。


こんなに工場がつぶされる
発表されている工場閉鎖案
(一部)

日本精工・多摩川工場     99年7月(220人)
東急車両・埼玉製作所     99年8月(180人)
プレス工業・栃木製造所    99年8月(50人)
住友金属・横浜工場      99年9月(146人)
日本冶金・金沢工場      99年9月(29人)
筒中プラスチック・大阪工場  99年9月(173人)
日石三菱・川崎製油所     99年9月(210人)
キリンビール・京都工場    99年秋(243人)
サクラダ・八千代工場     99年10月(90人)
旭化成マイクロ・厚木製造所  99年12月(900人)
東京ラヂエーター・鹿沼工場  99年12月(83人)
ヤマハ・天竜工場       2000年2月(500人)
池田物産・岐阜工場      2000年前半(100人)
コマツ・柏崎工場など3工場  2000年前半(800人)
関東自動車・深浦組立工場   2000年夏(1000人)
サッポロビール・名古屋工場  2000年秋(131人)
日産ディーゼル・群馬工場   2000年度以降(789人)
いすゞ自動車・大和工場    2001年1月(458人)
旭テック・本社ダクタイル工場 2001年3月(120人)
東京製鋼・小倉工場      2001年3月(239人)
住友電装・大阪工場      2001年3月(125人)
三菱自動車・丸子工場     2002年中頃(540人)
愛知機械工業・永徳工場    2002年3月

閉鎖年月日は予定を含む、( )内は従業員数、なしは不明。


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