990605


演説の力(下)

藤森 俊通


 開票場にいる連絡係から第一報が入った。どの候補も五十票か百票で大差はない。緊張がいったんおさまる。そして第二報。多い者は三百票とっている。少ない者は百票台。現職山中候補は二百票。そして新人の島田氏は三百票で先頭集団にいる。島田って誰かい?という声が出た。私は興奮を顔に出さないように冷静を装う。

 そして最終結果。島田さんはトップと数票差の二位で当選した。町中の誰も予想しなかった結果だろう。部落の選挙通が、

「島田さんて誰ね。なんで三百票も取るとや」

 というと、保守的老人の一人が、

「でも、よか辻説法ばしよったぞ」

 と応えた。島田候補は敵地ともいえるこの山の中の小さな部落にも来て公民館前で演説したらしい。他候補陣営の中にさえ聞く人はいたのだ。島田さんは演説主体に活動したそうだ。知名度も地盤もない島田氏に三百数十名もの人がなぜ票を投じたのかはアンケート調査でもしないことにはわからないが、氏の街頭での訴えを聞いて投じられた票は多いと私は思う。ちなみに山中氏も辛うじて当選し私は喜びを押し隠す必要はなくなった。

 同じ時期に私は地元選に先立って凸凹市の仲間の選挙にも応援に行った。これは部落のとは違い、自発的に行った。市議選である。その林候補もまた新人で、地盤・看板・鞄はない。従者の車もない。ウグイス嬢さえいない。林氏と運転手の原氏、私の三人で農村部を連呼してまわった。そして青空の下、見晴らしのよい畑の一角で候補が五分間ほど演説をした。すると終わったとたんに、前のビニールハウスの中から拍手が聞こえた。働き盛りの男の人だった。この人は、

「林さんは演説の上手かねえ。もう車で連呼してまわらんで演説だけしとった方がよかよ。がんばってください」

 と親身に言ってくれた。お世辞でなく心から助言してくれているのがわかった。

 林氏は気負わず淡々と演説する。内容も当たり前のことを方言をまじえて庶民の言葉で話す。有権者はともかくわきで聞いている私が感動してしまう。私も林さんの真似をして同じせりふをマイクにしゃべってみたが人の心にしみいるものにはならなかった。林さんのしゃべりにはプロの話し手もかなうまい。

 一農民に林候補を支持してもらえたことのほかにうれしかったことは選挙戦略に関して自分と同じ考えの人が市井にいたことである。『お願いします』と『名前』の連呼はいっさいせずに黙々と演説だけをする。選挙の玄人には歯牙(しが)にもかけられない作戦だが、投票してくれるのは素人なのである。聞く人は聞く、敵陣の中でさえも。

 大体、選挙で世の中は変わらない。演説で一人ひとりを結集するのが世直しの最善策であると私は思う。選挙期間は、遠慮気兼ねなく敵の邪魔もなく演説ができる好機ではなかろうか。もちろん普段も遠慮せんでよいのだが。

 林候補は残念ながら当選には二百票ほど足りなかった。しかし徒手空拳(としゅくうけん)の無名の新人が田舎の凸凹市で五百票以上獲得したことは大健闘であろう。日本にはまだまだ大いに可能性がある。


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