990525


演説の力(上)

藤森 俊通


 「もう連呼はやめて、山中候補の演説を中心にしたほうが効果があるんじゃないですか」

 と私は奥村責任者に進言した。ウグイスおばさんの絶叫するキンキン声が音量をあげた拡声機からほとばしる。一票でも多く獲得させてやりたくて言ったのではない。あまりにもうるさくて自分の耳がたまらんから言うたのです。お供の車の中にいるときは大丈夫なのだが、車を降りて選挙カーの前を候補といっしょにぞろぞろ歩くときは耳が痛くなる。

 「演説なんて聞く者はおらんよ。すみずみまで漏れなく『山中、ヤマナカ』と叫んでまわるのが一番さ」

 「それはそうですね」

 町議会議員候補の宣伝隊の一員として「お願いしまあす」と頭を下げてまわってはいるが、実は私は秘かによその部落の新人候補の島田氏を応援している。だから、やかましいだけの連呼で山中氏が一票差で落選しても、私の心は痛まない。

 山の中の私たちの小さな部落では、地元候補の選挙運動に強制的に駆り出される… と思っているのは私だけで、自分の部落の候補者の支援は当然のことなのである。

 男たちは候補者につき従って町内まわり。女たちは炊出しと接待。町内のよその部落から婿養子や嫁に来た人には、町議選のときに両部落の板挟みになって悩む者が多い。

 立候補者の演説を聞く者はいないという奥村氏の言葉は、ある程度ほんとうである。自分の部落から出ている地縁血縁の者に投票すると、はじめから決まっている。特に小さくて結束の強い部落ではそうだ。公民館には昭和天皇夫婦の写真が飾ってある部落だ。

 しかし例外、浮動票はある。若い者は部落のしがらみに比較的とらわれていない。また町の中心を占める大きな部落にはよそから来た者が多く、自由な雰囲気がある。

 私は他県から移ってきたよそ者だ。町全体、社会全体を考えている島田さんに当選してもらいたい。一度お会いしただけだが、私と似た考えをもっておられることがわかった。

 選挙運動の最終日。町一番の大票田・宮口部落に来ているのは私たちの宣伝隊だけではない。選挙運動終了まであと数時間となって、ほとんどの候補者がこの住宅街に入り込んだ。二百メートルも進まないうちに他候補とぶつかる。大名行列と大名行列のすれ違いだ。お殿様同士の仲がよければ冗談が出て、お供どもは大道漫才を始める。これはもう日本の文化だ。

 通りは地元民より選挙運動員のほうがはるかに多い。各陣営の拡声機が負けじと、おのが候補の名前をはりあげる。行列が合戦になった。苦しむのは住んでいる所を戦場にされる民衆だ。赤子のいる家はたいへんだ。このようすを外国人が見たらなんというだろう。

 町に静けさが戻った。投票締め切りの午後八時がすぎて、選挙事務所を構えている山中候補の自宅に部落民が集まった。広間には自民党の国会議員や県議から贈られた「祈必勝」の大きな墨書が何枚も張ってある。一番奥の紙には小渕恵三と署名してある。たぶん大量複写して、各陣営に配られているのだろう。

 期間中は「お茶」と呼ばれる酒を若旦那衆は隅でちびちび飲んでいる。山中候補は緊張して一人ぽつんと離れている。

 開票途中経過を知らせる電話が入るまで、下馬評が飛び交う。あげくには選挙通の者たちが当選順位と獲得票数の予想を始めた。どの予想にも上位には町の有力者たちの名が出ている。私が密かに当選を願う島田さんの名前は下のほうにある。(つづく)


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