990315


99春闘 現場の声

「会社は職場のギリギリの苦労をごく当然と考えていないか」


 日産自動車の労働者から、春闘(日産では、総合生活改善「春の取り組み」と呼んでいる)での団交のようすを知らせるビラが編集部に送られてきた。第二回団交のなかで、組合側が会社に伝えた「各支部の声」を掲載したものである。このビラは全組合員に配布されたが、その一部をそのまま紹介する。自動車会社の国際的再編にも立ち遅れ、「最大の危機」といって労働者にさらなる犠牲を強いる会社側の対応。これまで必死に会社を支えてきた労働者のがまんもついに限界。大企業の職場にも疑心暗鬼と怒りが渦巻きはじめたようすがうかがえる。


必死の努力はむだだったのか

富士工場は、ここ数年、多くのラインを国内外へ移管してきているが、そのたびに会社は人員余剰にはならないと説明してきた。しかしながら、現実には九三年以降、六年間も他工場・他企業へ応援者を出さざるをえない状況が続いている。

こうした厳しい職場運営が続く中で、昨年の九月に新会社設立の発表があり、われわれ富士工場の組合員と家族はたいへん大きな衝撃を受けた。「日産が好きで入社したのに、なぜわれわれが日産を離れなければならないのか」という非常に悲しい気持ちであったが、それでも職場は、いま自分たちにできることは何かを追求しながら、未来を信じ、会社のためと思い精いっぱい努力してきた。事実、低負荷の中にありながら、職場の努力で生産性向上も実現してきたのである。

ところが、会社は第一回団交で、「現在の状況は過去最大の危機といっても過言ではない」との認識を示した。振り返れば、三期連続営業赤字のたいへん厳しい事業構造改革にも、九五〜九七再建中期計画にも、職場は文字通り必死になって対応してきたし、会社から示された目標もすべてて達成してきた。

 それなのにいつまでたっても会社は「構造改革は未だ道半ばである」「当社の収益構造は未だぜい弱である」とのコメントを繰り返すばかりであり、そしてついに最大の危機を迎えてしまったという。こうした状況では、「いままでやってきたわれわれの努力はむだだったのか」と、正直いって疑心暗鬼にならざるをえない。

一時金でまかなう苦しい家計

栃木工場では、バブル崩壊後、LLクラスの需要が大きく減少したために、主力のセドグロ系の負荷が大きく落ち込み、一時期は臨時休業の実施により、三勤四休まで負荷が下がるなど、ここ数年、新型車の発表直後を除けば、総じて低操業が続いてきた。そうした中で、職場は大きな期待と夢を膨らませながら、栃木工場初の本格的なRV車となる「ルネッサ」を九七年十月に立ち上げたが、立ち上げの翌月には減産となり、二カ月後の十二月には一斉年休を実施せざるをえない状況となった。九八年六月には「今度こそ」を大きな期待を抱きながらRV第二弾となるプレサージュを各職場の総力を挙げて立ち上げた。

 この背後には、多くの他企業からの応援者や期間従業員を受け入れる中で、品質確保に向け、工長もライン入りして作業したり、発表・発売に向けた展示車両確保のために、上限を超える追加残業、突発休出にも、家族との計画を変更してまで協力し、何とか納期を確保してきた苦労がある。

 また、厳しい職場運営を行いながらも、特に追加分も含めた生産性向上活動での実績も上げ続けてきた。

しかしながら、更なる需要の落ち込みなどにより、一ラインは、本来であれば需要の高まる年度末になってまで一斉年休や臨時休業を実施せざるをえない状況に陥ってしまった。

 一ライン系の職場は一直勤務がしばらく続いており、交替勤務がないことに加えて、休出ゼロ・残業ゼロで実収入は大きく減少し、たいへん厳しい生活実態となっていることから、一時金で毎月の生活費をまかなっている状況が長く続いている。

会社はこういった職場のギリギリの苦労や努力をごく当然のことと考えていないか。職場のやる気を維持・向上させていくためには一時金要求に対する誠意ある回答が不可欠であることを認識してもらいたい。

夜中3時帰宅の苦労に報いよ

追浜工場では、昨年十一月二十三日に新型セフィーロの生産を開始したが、一週間もたたないうちに設備故障により、生産は大きくマイナスになった。十二月二十二日の発表発売までに展示玉を販売会社へ届けることが「追浜工場の最大の使命」との思いで、夕継ぎ勤務の上限である「九―九」を超える勤務体制にも協力し、突発休出までも実施して、何とか間に合わせることができたのである。

この間、十月からスタートした夕継ぎ勤務により、早番時には早朝四時に起床し、遅番時には真夜中の三時に帰宅と、長年慣れ親しんだ生活パターンが変わることでさまざまな苦労をしなければならない辛い状況であったが、新型セフィーロの立ち上げを何としても成功させるために、習熟訓練やレイアウト変更、設備・治工具対応などの準備作業を毎日遅くまで残り、また、土日の出勤をしてまでも協力してきた。こうした組合員一人ひとりの苦労と努力があったからこそ、トラブルなどの厳しい状況をも乗り越え、計画通り発表発売を迎えられたのである。

しかしながら、これだけがんばって立ち上げた新型セフィーロも、現在は減産対応に追われ、さらには発表・発売後わずか二カ月で一斉年休まで実施せざるを得ない状況に至っており、「夕継ぎ勤務が導入され深夜手当が減少するなど実質的に収入が減る中でも、必死にがんばってきた苦労は何だったのか」と、たいへん悔しく、情けない気持ちでいっぱいである。

こうしたわれわれの職場実態や組合員の気持ちをキチンと認識してもらいたいし、努力と成果を是非正当に評価してほしい。そして、現在も北米マキシマの立ち上げ準備を進めている中で、非常に高い生産要望にこたえようと必死にがんばっているわれわれの努力に報いるためにも、さらには、これからも全員ががんばっていこうという意欲につなげるためにも、賃上げの要求にはぜひ納得のできる水準でこたえてもらいたい。


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