990305


民を貴しとなし
社稷之れに次ぐ 孟子

花音 竜


 在米二十五年、妻と一男二女をもつわが団塊の友人は「日本に来るたびに人びとの表情が暗くなっていく」と言う。

 あらゆるメディアから毎日洪水のようにあふれ、流されている現在の日本の苦境、とりわけもっとも働き盛りの四十〜五十歳代勤労者の「暗さ」は、俳人・草間時彦の名(?)川柳――

 職のほかの 話題あら ずや おでん酒

 と詠んだ十年ほど前に比較しても惨憺(さんたん)たるものだ。

 そしてこの暗さは、まるで闘わなくなった労働組合や、

 「九〇年代は国内には…問題はないということですね」(唐津一)

 「何も問題はない。何か問題があるなら教えて下さい(笑い)」(長谷川慶太郎)

 などとのたまう元日共党員・害毒評論家が「売れっ子」の哀しい現状を見るにつけ、まさに「出口なし」だ。

●ああ経済難民となる

 かくいう筆者も、いまや社会棄民、経済難民であり、仕事、将来などは夜よりさらに暗い闇の真っただ中にいる。

 せっかく見つけたバイト先で「契約満了」の一言で路頭迷い人へ逆戻り。「社畜」にすら嫉妬心を抱くアリサマ。ついつい「昔はヨカッタ」などと独り愚痴。唯一「闘う評論家」佐高信の文章でも読んで気を取り直すテイタラク。

 まったく、何が人材派遣だ、アウトソーシングだ。実態はピンハネ業じゃないか。アルバイト誌に出稿しているようなピンハネ産業(アウトソーシング会社)は、ピンハネが目的であるから、保険とか手当とか、通勤交通費すら支給しないところがほとんど。スタッフジャパンなる会社では、去年、一斉に時給を百円下げたと聞く(千円↓九百円)。また、それに抗議したという話も皆無。「あるけど、ない」(佐高信)労働組合はモチロン無関心。そこで働く若い世代の人たちよ(結構長期間の人多し)。昔風表現の「本工と臨時工」の差別以上の冷遇に「怒り」はないのか。腹は立たんのか。

●ピンチはチャンスなり

 現在、日本のあらゆる企業はこの未曾有の混迷期に、生存をかけて(サバイバル・ウォー)必死の形相だ。と同時に、いや、であるがゆえに、たとえばメーカーでは、本来極秘とされた自社の研究開発や技術部門、あるいは運用部門ですらアウトソーシング対象になっている。

 九七年労働省「産業労働事情調査」によれば、大企業(千人以上)の四七・一%もが「業務の外部委託化」を推進し、今後ますますその傾向は強まると予想されている。つまりは、さらなる大量解雇↓大失業時代が来るということだ。いまは懐かしいロベール・ギランの「日本はゆっくり進むことは許されないと思い込んでいる国である」(『第三の大国・日本』)という夢のような時代(?)に比べて、働く勤労者、国民をしてかつてない困難な状況に追い込むことは間違いなし、である。

 この国や企業が、どんなザマアミロ状態になろうがまったく構わない。自業自得。

 民を貴しとなし、
 社稷之れに次ぎ、
 君を軽しとなす。

 なのだから。しかし、ピンチなのは働き、暮らす人びとの連帯感が失われ、人間が本源的にもっている働くことへの欲求、喜び、誇り、つまり生きることと同義の価値の喪失を招来してしまうのではないかという恐れである。

 いまや日本国民の七七%が未組織労働者であり、その予備軍である。さて、この現状を突破(ブレイクスルー)し、未来への展望を指し示すことができるのは、いったい誰なのだろうか。

社稷 社は土地の神、稷は穀物の神。転じて国家の意味。引用の大意は、国家においては人民が最も貴重で、社稷(とちとこくもつ)の神によって象徴される国土がその次で、君主がいちばん軽いものだ。


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