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イチローの清掃工場だより

利権が暗躍する世界

近江 一郎


 香川県豊島の産廃問題を、一番最初の便りでとりあげたが、最近のテレビ、新聞が報道しているように、県はいまだに豊島の住民に、責任も認めず謝罪さえしないで開き直っている。飽食の最終処分に、あまりにも無関心、でたらめ、責任回避の実際がよくあらわれている。

 ところで、つい先日、ダイオキシンが清掃工場近くの田畑の土壌に染み込んでいたというニュースで、一躍全国区的町名になったあのN町から、私たちの清掃工場に町民、町職員、県職員など、総勢二十五人ほどが見学に来た。

 この見学の予定はダイオキシン騒ぎになる以前から組み込まれていたものであるらしい。見学はこれまでの見学者と変わらず、N町の彼らの口からはダイオキシンのダの字も出なかったが、焼却炉、破砕行程の仕組みへの質問は、さすがにせっぱ詰まったものがあった。

 N町のことはさておき、これまでに私たちの作業状況は知らせてきたが、今回は行政と業者、そしてそこに働く労働者の関係について話したい。

 これだけ失業問題がクローズアップされても、既成の労働組合は闘わない。私たちには労働組合さえないのであり、経営者側も労働組合を作らせないよう必死だ。行政が委託した会社であっても、そこの労働者のことなどまったく考慮されない。そしてそれが通用する世界が、民間委託の仕組みなのであり、利権だけが暗躍するところなのだ。

 そんな労働条件のもとで、行政側からは、市民への対応が悪ければ、すぐに私たち現場作業員に注意が届き、経営者は注意の対象になった者が気に入らない者であればそれを理由に解雇を促すのである。そんな経営側と、行政のあつれきと、三Kプラス−K(軽べつ)の四Kの中で働くのが私たちだ。

 それでもこの不況下、この四K職場も捨てたものではない。最近、二人の欠員に、何と三十倍を超える人が殺到したのだ。高学歴、大手企業管理職など、前職はさまざまだが、職を失った人にとっては必死である。

   *

 さて、いろいろと述べてきましたが、この職場にいつか旗を立てんことを願って、このシリーズをこれにて一休みさせていただきます。読者の皆さまには、少しは地方都市の清掃事業の実態について、理解を得られましたでしょうか。

 いつかまたお会いできる日を楽しみに、ここにて過日亡くなられた映画評論家よろしく、しばし「さいなら、さいなら」と言わせてもらいます。

 それでは九九年が、読者の皆さまにとってよい年になることを祈念します。


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