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鈴木 崇の

僕の育児日記

「幼・児・虐・待」?


 「女もすなる育児といふものをしてみむとてすなり」とかいうほどに大上段に構えなくてもよい時代だろうとは思うのだが、あえてやってみようかというのは、私も時流に乗ってみるかというほどの心持ちである。

 そもそも子供のいる生活の苦労や楽しみは今更わざわざ報告しなければならないようなものでもない。第一多くの母親たちにしてみれば、ばかばかしいの極致ともいえるだろう。さらにいえば一人で子育てしている人たちや専業主夫たちの立場から見れば、こんなものはちゃんちゃらおかしいの一言で片づく代物に違いない。

 そこをあえて書くのは記録と日記の自己満足、あえて公開するのは同病相哀れむたぐいの人がいないとも限らないだろうという期待からである。

 まあ書く書かないにかかわらず事態は進行するわけだし、最近は内容の優劣は問わず、書いた者勝ちの風潮もあるように思うので、このような稚拙なものを公開してもそれほど反感は買うまいという打算もあるわけである。

十一月十五日(月)

 保育園から帰る道すがら、娘(二歳)と夕食の献立を相談する。

「なすびがいっぱいあるから麻婆ナスとかにしようと思うんやけど」

「ゆりちゃん、ショウガがいい」

 アンパンマンの「ショウガナイさんとナスコさん」による教育効果である。ナスのショウガ焼きが出てくるのだ。

「ようし、ナスのショウガ焼きにしような」

 と答えつつ、幼児がショウガを気に入るとは思えないので、麻婆ナスもつくろうとひそかに策謀する。いや、とどのつまり自分が食べたいのである。

 ナスのおいしさを娘に説きつつ帰宅する。と、玄関先でいきなり

「おしっこ」

 あわてて便所につれて行きパンツを脱がすが、間に合わず。故意ではないし、娘も傷ついているだろうからしかるまい、と考えてはいるが、どうしてもきつい口調になる。怒りにまかせて風呂場で娘の尻を洗うと、娘は「冷たい」と泣きべそをかく。「幼児虐待」の四文字が脳裏に明滅する。 バスタオルで尻を拭き上げると、すっとしたのか娘は急に上機嫌である。「ほんとに反省しとるんか」という疑念が頭をもたげる。しかし行動から内面を推し量るのは実は難しいことで、本当はどう考えているのかわからないというのが正確だろう。ともかく悩むのはやめにしてお漏らしの後始末にかかる。時間を浪費したという思いばかりが募る。

 洗濯機を回しつつ、焼きナスをひっくり返してネギをいためていると、妻から電話。「今忙しい?」「忙しい」で終わり。妻は、二人目の子を妊娠しているが、産休に入る前に体調を崩し、医者の命令で実家に強制送還されている。

 結局夕食は八時過ぎになってしまった。娘は辛抱しかねたのか、自発的に配ぜんの手伝いをしてくれた。ナスの料理は好評で、私の麻婆ナスを横取りするくらいだった。

 その後、十時過ぎに娘を寝かせるつもりがこちらが寝入ってしまい、目覚めたら二時半だった。保育園の支度、生協の配達注文書の記入、たまった洗濯物たたみをやってから四時ごろにまた寝た。 


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