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盛岡市商連を訪ねて

地域経済守る熱意に学ぶ

3本の哺乳びんはいらない

長崎市議会議員・草の根クラブ 中村 すみ代


 先日、岩手県盛岡市を視察しました。大型スーパーの進出状況及び商店街の現状とその振興策について調査するためでした。

 盛岡市を視察することになったのは、労働新聞の書籍紹介欄に「規制緩和―なにをもたらすか」(岩波ブックレット)が紹介されたのがきっかけでした。

 さっそく、書店で購入し読んだところ、盛岡市の商店街では昨年の六月三日付の岩手日報に、全面広告をしたという一文が目に入りました。どんな広告なのか、岩手日報社に電話をしました。数日も経ずして送られてきた広告をみて、たいへんびっくりしました。

 大見出しは「いま、盛岡を守りたい!」、小見出しは「私たちは巨大SC(ショッピングセンター)の進出に反対します」。そして、なぜ反対するのかを市民にわかりやすく説明しているのです。

 たとえば、「あまりにも無謀な大きさです。いわばすでにお腹が満ちている赤ちゃんの口に無理やり三本の哺乳びんをつっこむようなものです」「巨大SCは盛岡を創造し、育み、伝える生活者ではありません。利益・採算があわなければいつでも盛岡を捨てるだけなのです」など。紙面の下の盛岡市商店街連合会(以下市商連)の大きな文字が、なぜか光っているようでした。

 ふだんはいたってのんびりしている私ですが、今回は自分でもびっくりするほどすばやく動きました。

 盛岡市商連の心意気と信念に触れてみたいと、視察の希望を手紙に乗せたところ、快く視察受け入れを承諾していただきました。

 長崎市でも盛岡市と同様、大型SCの進出や計画があい次ぎ、広島市に本社をおくイズミが核テナントになる「夢彩都」はすでに着工開始。JR長崎駅周辺再開発にあわせて「西友」を核テナントとする大型商業施設の大店法第三条にもとづく出店説明会の開催、そして「マイカル」の進出もとりざたされています。長崎市商連も対応を迫られています。

 

がまんの限界越えた

 盛岡では肴町(さかなちょう)商店街振興組合の事務所で、詳しくお話をうかがうことができました。

 三本の哺乳びんとは、ダイエーの十万平方メートル(この計画は県の土地利用上適当でないという見解が示されたことで事実上計画断念に追い込まれた)、マイカルの三万平方メートル、ジャスコの五万平方メートルという巨大な計画です。

 盛岡市全体で小売店舗数三千数百のうち、現時点でも大型店わずか八十店舗だけで売り場面積を約五七%も占める実態なのに、これ以上の進出は個人商店のがんばり、努力では対応できないというせっぱつまった状態から出発していることが理解できました。

 また、盛岡市は長い歴史と伝統の中で育まれた人口約二十八万人の北東北地方の交流拠点都市として発展し、第三次産業が八〇%という商業都市であること。したがってこれ以上の大型SCの進出は、単に商店街にとって死活の問題というにとどまらず、関連する製造業、卸売業など地域経済に与える影響ははかりしれないものがあること。このような立場からも「がまんの限界」を越えたということです。

市民が商店街をバックアップ

 このような状況のもとに、全面広告や署名活動、行政への働きかけ、商店街が市民の生活に実際に役立つということを実感してもらうための「配送サービス」開始など、市民の理解と協力、支援を得るために創意工夫していることがわかりました。

 「配送サービス」は今年の六月からはじめたばかりとのことでしたが、高齢者や障害者へのサービスというだけではなく、中心街の商店街が地域密着型のサービスを展開しようとしている第一弾としてとらえることができます。このような地道な努力が、「スペース・寄り合い」という消費者からの新たな動きをうながしたのではないかと思います。

 いま、盛岡では市民が自発的に、「心と身体にやさしい街づくりを考える!」という立場から、応援団として商店街をバックアップしはじめています。「新たな消費者運動」というとおおげさかもしれませんが。長崎でも今後の取り組みで参考になるのではないかと思っています。

 わずか一日の視察でしたが、同じ県都ということでいろいろなことを学ぶことができました。単に自らの生き残りをどうするかということだけではなく、市民生活を守り、そして歴史や文化の発展と継承。さらには盛岡市全体の経済の将来のことも視野に入れつつ、商業振興に前向きに取り組んでいるスケールの大きい商業者に直接お会いできたことは、最大の収穫でした。

 最後に、今回の視察は労働新聞がきっかけをつくってくれたわけです。これからも私たち議員にも役立つ記事を、どしどし掲載してくださることをお願いします。私が「通信」に記事を投稿したのも、このことを要望したかったからです。


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