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強制配転から1年

どっこい俺は元気だぜ!

監視カメラ、持ち物管理…

心まで管理されてたまるか

上野郵便局 飯岡 徹


 二十三年近く働いた職場から別の職場に強制的に移され、新たな人間関係の中で働くようになって一年が過ぎた。

 上野局へ来た当初、正直いって俺はどうなることやらと思った。同じ郵便局だから仕事は大して変わらないはずだが、何か雰囲気が違う。

職員は泥棒の始まり?

 まず驚いたのは、区分けする作業場に監視カメラがあることだった。「信頼カメラと言います」などと自慢げに管理者は説明する。「信頼しているならいらないだろう」と言うと「犯罪を防ぐため」と言う。この監視カメラはビデオと連動していて録画保存している。いつだったか、泊まり明けの職員が一昼夜の仕事を終え疲れて机にうつぶしていたのを局長が見とがめて、後で誰だったか特定するため録画テープを調べたという話があった。

 次に驚いたのは、唱和である。これはどこでもそれなりにやっているものなのだが、俺には異様に思える。特に集配課は「五つの誓い」などといって、「私はお客様を愛します」「私は家族を愛します」何とかかんとか「だから犯罪は犯しません」と大声で唱和しているのだが、それは大日本帝国陸軍という感じだ。

 郵便課では「自ら考え、自ら行動する職員になります」なんてのもあるのだが、管理者諸君! 君らに言われなくてもすでにそうしています。上から言われたことしかできない管理者に言われたくないっつーの。

 俺はここへ来て早々に唱和を指名されたが、「信条にあいません」と拒否した。心の中まで郵政省に管理される筋合いはない。

 競馬をはじめとするギャンブルについても過剰な反応だ。昨年秋のダービーの時に、副課長が競馬をやる人に「今度のレースはやるんですか」と聞いて回り、「大きなお世話だ。資金でも貸してくれるのかい」と逆襲されるありさま。

 当局の言い分では、ギャンブル→借金→サラ金→犯罪という図式で、競馬ばかりでなくパチンコも含め、誰が何のギャンブルに手を出しているかという情報を集めている。だから、人生がギャンブルのような俺は最高に監視されているのだろう。

 「私物を職場に持ち込むな」と休憩室にバッグ、紙袋さえ持ち込むのを認めないという。特に集配課では新聞、雑誌もまかりならんと禁止している。俺が課長に理由を聞くと、「新聞や雑誌に郵便物をはさんで盗む」「バッグや紙袋に郵便物を入れてしまう」と平然と言いやがる。

 「それなら俺の身体も『私物』だから局に来れないな」というと皆大笑い。「盗むやつは何にでも隠すのだから、これからは素っ裸で仕事をしなくちゃならないな」と組合員。

 とにかく、やたらと管理者が変にはりきっている。変な雰囲気とはこれだったのだ。

労組は当局の言いなり状態

 職員はこうした当局の姿勢、管理者の行き過ぎに、労働組合の違いを問わず疑問に思い、心の底では怒っている。何でもかんでも「防犯」を口実にして、職員を取り締まろうというのだから。

 また、局長や課長が人事異動で変わると何でも変わり、管理者次第で基準が変わるということも大きな問題となっている。

 たとえば、休憩室の個人ロッカーにタオルを掛けていたら、それは見苦しいといってタオル掛けが配備されたのだが、新しく来たやつが、タオル掛けが見苦しいといって休憩室から撤去するありさま。職員の間では、「職場は管理者のおもちゃじゃないぞ」と文句が出ているが、自分の足跡=成果を残すためならば、どこ吹く風の様子。

 こんな状況に労働組合はどうしているのかといえば、ほとんど当局の言いなり状態で組織としては無力化している。一部のまじめな現場役員ががんばっても肝心なことは上で決められているので、現場役員の出る幕がない。要するに当局と組合専従の談合の上に職場がなりたっているといえる。

 だいたい、郵政省と東芝・NECとの談合が問題となっているが、労働組合はこれを暴露し批判しようとしていない。「民営化阻止のために郵政内部の力を合わせて」ということだろうが、不正を不正として告発できないようでは、誰のための郵政事業をつくろうとするのか。労働組合のいっていることが世間に信頼されないのではないだろうか。その談合によるしわ寄せは、お客には値上げ、職員には合理化と労働強化としてはね返ってくるのは明らか。

 いま郵政省は盛んに「お客さま第一主義」なんてことをいっているが、お客さまとは大手電機メーカーのこととは知らなかったネ。


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