981005


廃業に追い込まれる皮革業者

50過ぎの転職はつらい

東京 P・I


 「いやー、景気悪くて」。Aさんはあいさつ代わりに言って、部屋に入ってきた。

 「当たり前だよ、このご時世に景気いいなんてのがあったら、怪しい会社だよ」とBさんは事もなげに言ってのける。

 不況だ、不景気だのの言葉は、もうすっかり体のすみずみまでしみ込んでしまっている。

 私は東京の下町に、長年住んでいる。

 この地域は、皮革製造・製靴業・カバン・ベルト・メッキ工場・溶接など、区内唯一の工業用途地域であるため、さまざまな工業がひしめきあっているが、そこそこの業績をあげている事業所はごくわずかであり、多くの事業所は廃業かそれに近いところに追い込まれている。

 皮革製造業を営んでいたIさんは、五十歳過ぎてビル管理の養成所に通い、現在ビル管理の仕事をしている。

 製靴業のKさんは、ビルの清掃の仕事をしている。五十歳、六十歳になっての転職は職場の環境・人間関係において精神的・肉体的にかなりの負担を強いている。

 この数十年、政府は自動車・電機などの大企業を中心とする輸出産業を優遇奨励し続けている。輸出過多から、ウルグアイラウンド・貿易自由化と続き、この大きなあおりをくったのが農業であり、皮革製品、町の零細事業所にほかならない。

 この地域には、皮革関連産業の工場が多く営まれていた。戦前は、国の皮革統制の関係もあり盛況であったが、現在、工場は当時の一五%ほどに減ってきている。工場跡地は駐車場や空き地、また、都心への交通の便の良さも手伝い、大手マンション業者がつくった分譲マンションが林立している。

 皮革製品はわれわれの生活の必需品となっているが、その多くが今や外国製品で占められている。地域の業者はもともとぜい弱な資本のため、製品の開発・研究・販路の拡大などに大きな後れをとったのもその一因であるが、「住専」や今日の「長銀」などには惜しげもなく金を出す政府は、地場産業や町の零細工場には見向きもしない。

 自治体の融資制度はあるにはあるが、ないに等しい中、水がかれるのを待っている状態にある。かつての工場の町というイメージは変容の一途をたどってきている。

 一昔前まで、「自民党ががんばってくれれば景気は良くなる」という声をよく聞いたものだが、今はまったく聞かなくなってしまった。大企業だけが肥え太る政治のしくみを変えていかなくては、また江戸時代に戻ってしまう。


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