私たちは取締官じゃない
午前九時、さぁ授業の始まりだ。教室のドアを開けると学生たちが「おはようございます」とあいさつをする。私も「おはよう」と声をかける。
疲れてはいそうだが、それでもやる気を見せて教科書を広げ始める学生もいれば、まだ夢の中にいそうな学生もいる。体調の悪そうな学生もいれば、欠席している学生もいる。
体調の悪そうな学生には声をかけ、必要なときは病院を調べて診察をすすめる。二日以上休んでいる学生がいると、親しい友達に聞いたり、自宅やアルバイト先に連絡したり、必要なときは自宅まで出かける。
長期に休んでいる学生は、学校ができる限り捜し出す。そして、正当な理由がない場合は、直接成田空港まで連れていき、強制的に帰国させるのである。
ここまでくると、まるで入国管理業務のような気がしてくる。いや、これは本来入管事務所の業務である。実は、二、三年前に(正確ではないが)、長期に休み不法滞在につながるような学生が全学生の五%を超えた場合は、今後学生の入学を許可しないという政府通達が出て以来、日本語学校は入管業務の一翼をいっそう担わなければならなくなっている。
私たち教師は、集まっては「何で日本語学校がそこまでやらなくちゃいけないの」と言って怒りを爆発させる。私たちは日本語教師であって、不法滞在者取締官ではない。
学校の体制は40年前と同じ
ところで、数日前のあるクラスでの出来事である。A先生はそのクラスの担任で、そのクラスは日頃から授業態度に問題があり、そのうえ最近欠席、遅刻が目立っているのを気にかけていた。
A先生が教科書を読んでいると、母国語でのおしゃべりを始めたので注意をしたら、「勉強に関することを聞いていたので注意を受けるのは心外だ」と言い、それをきっかけに日頃の授業態度に話が及び、注意をしたらしい。
そうするとある学生が目をうるませながら、「先生は私たち学生のことがわかっていない。私たちは毎日勉強とアルバイトで疲れています。そのうえ今は、大学受験のための勉強と入学金や授業料の準備で大変なんです。先生はわかっていない」と言ったそうだ。
A先生は職員室に帰ってきて、同僚に報告し意見を求めた。私たちは彼らの状況はわかっている。わかりすぎるくらいわかっている。しかし、私たちに今やっていること以上に何ができるだろうか。学生たちに「わかっているのよ」と言ってあげれば済むことでもない。
いろいろな意見が出たが、結局日本側に学生を受け入れた後のシステムが確立していないという結論になった。彼らに関する問題は四十年前、あるいはそれ以前と何も状況は変わっていないと、みんなでため息をついた。
日本語学校を卒業した学生たちは、進学する。とりわけ大学に進学した学生には、奨学金支給の道がいくらかは開かれる(もちろん無条件でもなければ全員でもない)。最近では、国際通貨基金(IMF)の管理下におかれた韓国の学生に大きく開かれているようだ。
これは歓迎すべきことではあるが、根本的な解決とはいえない。まして、深刻な経済危機に直面しながらも、何とか自力でがんばっている国々の学生たちとの待遇の差はいったいどう理解したらいいのだろう。問題をはき違えているとしか、いいようがない。
学校側の締め付け強まる
私たち教師はいろいろな問題をかかえながら、山のような仕事を持ち帰り、そのうえ翌日の授業の準備をするのである。それなのに社会保険もなく、失業保険もなく、ボーナスもなく何の保障もない。
日本語学校には日本社会の一面が凝縮されているかのようである。
最近、学校側からさまざまな締め付けを受け始めている。だから集まっては、「闘うときはみんな一緒よ」と話している。
最後にもしよろしければ、田中宏著「在日外国人」(岩波新書)のご一読をおすすめしたい。
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