980905


崩壊が進む農村

こんな日本に誰がした

山内 正雄


 こちらでは暑かった夏もすぎ、秋の気配がしています。今年の夏は東日本から東北地方は異常気象や大雨で、稲をはじめ農作物に深刻な被害が出ています。コメどころの不作を見越して、すでにコメの買い占めが始まり、価格が上がっているとも聞きます。

 私の住んでいる地方では、まだ収穫には間がありますが、先日発表された作況予想では、作柄は悪くないとのことでした。ただ早場米、超早場米などは例年より悪かったようです。

 郊外の平野部にあるわが家の周辺でも、小さく白い花をつけた稲の穂が出ています。暑い夏などは五時、六時といった夜も明けきらない早朝から、農家の人は農作業に精を出しています。

 しっとりとして冷やっとした空気のなかで、いろんなことを考えながら散歩します。藤沢周平の『蝉しぐれ』の書き出しあたりに

 「いちめんの青い田圃は早朝の日射しをうけて赤らんでいるが、はるか遠くの青黒い村落の森と接するあたりには、まだ夜の名残の霧が残っていた。じっと動かない霧も、朝の光をうけてかすかに赤らんで見える。そしてこの早い時刻に、もう田圃を見回っている人間がいた。黒い人影は膝の上あたりまで稲に埋もれながら、ゆっくり遠ざかっていく」

 という風景描写があります。これはまさに日本の原風景の一つで、朝早いうちはそのとおりですが、だんだん太陽がのぼってくると、すっかり現代の日本の農村に引き戻されてしまいます。

 超低米価が続いた上に、今年などは四割の減反で、農道を歩いていると、田んぼは虫食い状態で、何年も耕作されず雑草が生い茂った田も目立ちます。トラクターで耕したばかりになっている田は今年休耕田になったところです。

 竹の棒の先に農家の名前と田の面積と転作作物を記した紙がつけられてあちこちの田んぼの端に立てられ、ひらひらと風に揺れています。

 一体こんな日本に誰がした!と言いたくなります。

 またこの地域は、ハウス栽培のメロンやトマトなども盛んで、比較的規模が大きな農家が多いのですが、若い人たちは家にいながらも会社勤めをする人たちが大半で、農業を実際にやっているのは中高年、老人ばかりです。

 わが家の裏の家も元は農家でしたが、同居の息子夫婦は公務員とパート勤めです。最近、家の近くの田んぼを埋め立て宅地にしました。おじいちゃんも植木の手入れとゲートボールが日課で、農業はもうやりません。

 農地がすこしずつ条件のいいところから切り売りされて住宅地になり、不況とはいえ土地の値段が安い割に通勤に便利なので、結構新しい家が立っています。町の人口は十年間に五千人ほど増えています。

 国道沿いにはコンビニや弁当屋、カラオケボックスが二十四時間営業で、夜も眠らない町(村)になっています。さらにここ数年は大型店、ディスカウントなどの郊外出店ラッシュで、わが家から車で五分のところにも超大型のショッピングセンターが昨年オープンしました。休日などは国道は車の渋滞の列です。

 そんなわけで、わが町の商店街の空き店舗率は四割以上で、県内でも有数のゴースト商店街にさせられてしまいました。では、新しくできたところは、さぞかしと思ってのぞいてみますが、当初の計画より売り上げも伸びず(この不況で当たり前だ!)、ウィークデーなどはテナントによってはガラガラというところもあります。

 「規制緩和をすればすべてよくなる」と、つい最近まで大合唱でしたが、台風が通り過ぎたあとのように、バタバタとなぎ倒された樹木や家々が残された町になるのかも知れません。

 いま、ほんとうに何が必要なのか、どんな政治が必要なのか、どんなふうにこの国を作っていくのか、だまされないで、じっくり考えてみることが大事ではないか、暑かった夏の終わりに思っています。


Copyright(C) The Workers' Press 1996, 1997,1998