980825


田舎の町は壊滅状態

このままでは大変だ

林田 満彦


 毎年のことながら、夏休みの帰省でカミさんの田舎に寄せてもらった。結婚して十五年になるが、そのつど田舎の変わりように驚く。聞いてはいたが、今回は不景気のすさまじさをまざまざと感じた。

結婚して何年目かに新幹線ができ、新幹線に沿って高速道路が走り、その頃から町の様子は一変しだした。それまでは、新幹線の新しい駅から川を挟んで、在来線の駅がある旧市街地が町の中心だった。

 駅からメイン・ストリートに沿って商店街が並び、ちょっとした百貨店や映画館もあって、人通りも多く活気にあふれていた。新幹線の駅側といえば、見渡す限りの田んぼで、いかにも田園風景そのものだった。それがだんだん高速道路に沿って田んぼがなくなり、大きな駐車場のある店が並び始めた。

 それでも、最初はドライバー向けのファミリー・レストランやパチンコ屋くらいのもので、旧市街地はまだまだ町の中心だった。いよいよこの様相が変わってきたのがバブル絶頂期の九〇年頃だった気がする。道路に沿ってすき間なく、よく知られた大型店が立ち並び、旧市街地はどんどんさびれていった。

 俺たちが帰省すると「今度○○ができたよ」と言っては、逆お上りさんよろしく出かけ、人の多さに圧倒された。人の流れが変わってしまい、旧市街地は、もはや過去の町になりつつあった。人通りも激減し、閉める店、看板の変わる店があふれ、ほんとにさびしい町並みに変わっていた。

 それが今回の帰省では、またまた様相一変だった。大型店に行っても人がいない。聞くところによると、大型店でも数少ない店だけがにぎわっているそうな。「みんなどこに行ってしまったの?」って感じ。これじゃ町の商業は壊滅じゃないの?

   *     *

ひどいのは商業だけじゃなかった。義兄はトラックの運転手だったが、リストラにあいクビになって、今は時給千円のアルバイト生活だとか。きつい仕事で、夏だけ忙しいアウトドア用品の、工場からの出荷・積み込み作業。お盆の間も休みなしで働いていた。「夏が過ぎたらどうなるか」と言われ、返す言葉もない。

 義姉の方は旦那が地場産業の工場経営をしているが、「今までで一番ひどい」「仲間内でも今年に入って倒産があった」「来年までもつか?」などなど。いい話が一つもない。加えて農家では、異常気象で稲作も今年は不作の心配でもちきりだとか。

せめてもの救いは幼いおいやめいの無邪気な姿だったが、この子たちが大きくなった時にどんな社会を見せてやれるのか、本当にこのままでは「大変だ」と感じた今回の帰省だった。


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