980805


銀行だってつぶれる時代

底辺労働者はたくましく

流通労働者 竹田 克美


 暑中お見舞い申し上げます。

 俺は、窓もない建物の中で、世間をはばかるように仕事をしている「倉庫番」だ。うだるように暑い毎日だが、俺の身辺にも不況、リストラの嵐が押し寄せてきたようで、首のまわりがヒンヤリと涼しくなってきた。そんな話を書いてみたい(俺としては初めて日の目を見るって感じだ)。

 ボーナスは世間相場の半分にも満たないが、去年より千円増とやらで、出るには出た。それも束の間、俺の担当部署の人員を四人から三人に減らせないかとの打診が「お客」からあったという。

 雇用関係が複雑だが、「お客」とは荷主である輸入商社。ブツを航空貨物をあつかう会社の倉庫に入れて、業務を委託している。その子会社である俺の会社が労務を提供するというしくみだ。

 商社の業務に一〇〇%組み込まれていながら、こういう関係の中に身を置いているのは、やっぱり空しいものがある。俺たちの人件費も、商社にとっては倉庫に払う経費の一部にすぎない。「返り血」を浴びる心配をすることなく、経費削減できるのだ。

 たしかに仕事は減ってきた。去年までは、くわえタバコで荷物を動かしていた(危ないけど文句あるか!)。ここ数カ月、いすに座って吸っている。お互い結構なことではないか。

 本来、飛脚マークのドライバーなんか、愛想よく元気なはずなんだが、ウチに来るやつは最近暗い。担当地区からブツが出ないという。「セールスドライバー」としての立場では事態は深刻なんだろうが、話を聞けば俺たちだけじゃないと安心(?)できる。

 ブツの動きは、俺たちがいちばんよくわかっている。大手電機メーカーの発注が何千個単位であったものが、何百何十何個になっている。中には一個、二個の注文。こんなのは請求書を発行する経費にも満たないもので、「よくやるわ」とあきれてしまう。

 「お客様」であり、かつ実質上の「雇用主」であるこの商社が、売り上げを減らしているのは日々の仕事を通じてみてとれる。だが、アイツらの昨年末のボーナスは六カ月分だという。俺たちの五、六倍に相当する金額だろう。しかも、夏は定率制なので、今年も例年通り支給されたそうだ。

 数日前にも新聞に求人広告を出している。一行、二行じゃない。名刺くらいのサイズのをだ。連中はどれほど痛みを感じているんだろうか。売り上げの目減り分をすべて下請けに転嫁できるほど、世の中甘くはないんじゃないか。 

 不況が長期化すればするほど、俺たちも結構変化している。かつてのバブル以来、みんな競争社会での落ちこぼれを自認していた。3Kだか5Kだか、ともかく自分の息子や娘にもおよばない給料を自嘲(じちょう)し、暗い笑いがあった。

 だが今は高級取りの銀行だってつぶれるんだ。子供たちの前で卑屈になることはないのだ。最底辺の労働者は、少々のことでは動揺しないということだ。

 しかし年をくっている。失業率四・三%の海に放り出されて、その後どうなるか皆わかっている。会社が吸収できる余力があるかどうか。まだ人減らしの打診は打診にすぎない。とりあえず、社長にがんばって交渉してもらおう。

 ここんとこ、定年間近の同僚をつかまえて(クビになっても実害がないからだ)「組合の委員長やらせてあげるから、チョット会社に文句言ってみてくれる?」なんていう冗談がはやっている。ひょっとして、「委員長ヤル」なんてヤツがいるかもしれないヨ、社長。


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