980725


不況の波が現場を直撃

寮の食事も廃止に

もうがまんも限界だ

電機工場労働者 坂本 栄一


 俺は、四国の高校を卒業してすぐ今の会社に入り、もう三十年近くになる。だから会社の調子の良いときも悪いときも見てきたが、今ほどひどいことはなかった。今年に入って極端に仕事がない。いつまで会社が続くか。これが工場で働く仲間の口ぐせになってしまった。

 申し遅れた、俺の工場では家庭電化製品をつくっており、世間には少しは名が売れているが、東芝ほどの大企業ではない。工場には学校の仲間三人と一緒に就職したが、二人は三年ぐらい勤めて辞めてしまった。当時はまだ他の会社にすぐ就職できたから、若いうちにもっと条件のよい所に行きたかったんだろう。俺はがまんしてがんばってきた。

 入った当時四千人以上いた従業員も、地方工場へ出向させられたり、職場ごと地方に移ったりで今は二千人になった。一度俺にも出向の話があったが、俺はいやだったから断った。そしたら、会社ににらまれて査定にも響いた。それでも俺はがまんしてがんばってきた。

 俺が思うには、会社は来年には一時帰休をやるだろう。なぜなら、仕事がないのは事実だし、「今年の十月ぐらいから一時帰休が始まる」といううわさもある。何で仕事がないかって?「コストダウン」が大手をふって、それに耐えられない企業には仕事が回ってこないからだ。

 それに、今はやりのグローバリゼーションだ。これまでも国内の他社との競争はあったが、今度は国際競争だそうで、外国企業とも張り合わなければならないはめになった。勝つ企業はいつも大企業で、そこはいいかもしれないが、いくらがんばったって勝てない企業はどうなるんだ。

 会社は、これまでライバルだった会社から仕事を回してもらったり、外国の会社と技術提携をして、そこからも仕事をもらって何とかしのいでいる。会社の土地の一部を切り売りしたりもしている。それでも会社は毎年赤字だ。経営者の「会社をつぶすかどうか」という話も聞こえるもんだから、どこかと合併(実際は吸収される)することもあるんじゃないかといううわさも出るぐらいになった。

昇級にも査定を導入

 こんな具合で、現場で働く俺たちのところへのしわ寄せはすごい。最近、交代勤務の手当が減らされた。社宅に入っていた人にも年齢の上限が決められた。一番お金の必要な世代の人が追い出され、無理して借金をして家を買った人もいる。こんな人には、職場がなくなるかどうかは大変なことだ。寮の食事もなくなった。病気をしたときなど看病をしてくれた管理人もいなくなった。

 みんな文句もあるし、交代勤務の手当を減らすときには相当反発があった。職場の仲間から相談もされたので、どうなるか俺もいろいろ調べてみんなに資料を配ったりもした。

 昇級にも差別が持ち込まれた。勤続年数など関係ない。会社が査定してランクを決める。その査定で春の賃上げ額も決まる。平均七千円の賃上げでも、千円しか上がらない人もいる。一時金や退職金にまで格差が出る。

 労働組合はないのかって。御用のりっぱなのがあるよ。ある日、退職金の説明で、一番高い査定の人をモデルにして「これだけ出ます」と言った。これ、会社の説明ではなくて組合の職場会の話。俺だけじゃなく、「平均的な」査定の人は、はていくらになるのかさっぱり分からない。そこで俺は、普段はものを言わないんだが、がまんしないで言った。「○○の査定の人はいくらですか」。組合「それは個人的なことだから」。ムムム…。

 組合は、さすがにまずいと思ったのか後から説明に来た。そしたら職場の仲間が、「ねえ、俺らいくらだった」と聞きに来た。こんな組合だから、職場会にも半分ぐらいしか参加しない。これまで各職場でやっていた職場会を、食堂に集めていっぺんにやるようになったこともある。

 残念だが「言っても…」というあきらめの気持ちがあるのも実際だ。でも、俺の職場から参加する仲間の二人から三人はいつも職場会で発言する。職場の仲間とは時々一杯やるんだ。俺だけじゃなく、みんなのがまんも限界になったら…そんなことを考えている。


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