980715


イチローの清掃工場だより

苦労人の働く仲間たち

近江 一郎


 前回、私の勤める清掃工場の現状を紹介しましたが、今回はそこで働く仲間を紹介しましょう。

 私たちの仕事は「収集」=トラックで大型家庭ゴミを指定された曜日に引き取りに行く仕事と、それを私の所属する「破砕工場」に持ち運び解体する作業と二つに分けられます。それぞれ四人でチームを組み、時折学生のバイトなどが応援に来ます。今回は「破砕工場」に最近入社した人を中心に、披露(ひろう)します。

 最近入社してきた彼は五十三歳。九州の片田舎の出身です。中学を出て自衛隊に二年いて、その後二十年間あまり大手農耕機具の組立ラインで働いていたそうです。ところが腰を痛め、最終的にラインに残れず、地方転勤の繰り返し。家族とも離別し、五年前に退職。今はこの町の木賃アパートに一人住まい。バイト、バイトで食いつなぎ、ここに(破砕工場)たどり着いたということです。

 最初は青白い不健康な顔で数日過ごしていましたが、最近私の問いかけにも明るく答えるようになってきました。私が「そんな大手会社だったら、労働組合が腰痛の補償を勝ちとるとか、労災の適用はなかったんですか?」と聞くと、「労働組合は御用組合で会社のいいなり。労災の適用も会社のイメージを失墜させるものだから、組合も何もしてくれなかった……」とうつむき加減でポツリポツリと話してくれました。

 「私ら学歴も技術も能力もないものは消耗品の一部で、不況がくれば一番に『処理』される立場なんだ」。寂しそうな口調の中にも、大手企業、御用組合に対する憤りが強く感じられ、これが日本の現実だと強く感じました。こういう立場にいる労働者こそ、私たちの仲間としなければならないと思いました。

 五十九歳の坂田さんは鹿児島県出身で、中学を出て集団就職で大都市に出てきたそうです。転職を重ね、個人企業の染色屋の職人となり、二年前ご多分にもれず会社は倒産。職安の紹介で入社してきました。

 彼には妻子があり、子供二人はもうすでに社会人。六十五歳からの年金を楽しみに、それまで勤められたらと考えています。慣れない仕事ですが、汗をふきふきフロンを抜いたり、小さな身体で冷蔵庫を破砕コンベアに運んだりしています。

 彼はいつもニコニコしていますが、ある昼食時に「父は自分が生まれてからしばらくして、沖縄戦線に駆り出され戦死した。帰ってきたのは遺骨のない木の箱ひとつ、そこに自分をはじめ母さん、兄姉の爪を切って入れ、墓に埋めた。父の顔も知らず、遺体も何もなかった……」と話してくれました。

 その時はさすがに彼もしんみりとなり、「沖縄の問題は他人事に思えない。戦争はいやだ。米軍基地を居座らせて、戦争に加担しようとする政府はまったくけしからん」と語気を荒げました。

 みんなそれぞれに苦しく厳しい人生を送ってきています。今の自分がなんとなく「苦労が足りないな」と思えてきます。

 そんな仲間たちとの仕事は楽しく(実際はつらいが)、笑いながら働いています。チームワークはとてもよく、みんなで一杯飲みに行く約束をしたところです。そこでまた、いろいろな人生道場を開いてくれることを楽しみに、がんばっている私です。


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