980615


魂ゆさぶる労働歌の響き

もやもやがふっ飛んだ

大牟田市 武田 勇


 わが街は、三池炭鉱閉山後、じわじわとその影響が出始めている。有効求人倍率や離職者の就職率も、隣県の町と共に五〇%を切る状況で、いかにも旧産炭地といった雰囲気をかもしだし、事態は深刻である。

 周辺には大型スーパーがあちこちにできている。ちょっとの間に見かけない大型店が突如出現するといったありさまである。山を削ってできたレジャー施設と合体した超大型店が開店したが、開店当時は例のごとくにぎわい、周辺住民の生活道路を混乱させている。近くで有機農業をやっている友人は、「何であんな山の上まで買い物をしにいかんといけんのか。すぐつぶれますよ」と言葉を吐いた。

 だから、従来の商店街も活気がない。今、市政が目玉に掲げた環境リサイクル産業も、大資本奉仕の危険な実態が少しずつ市民に明らかになりつつある。

 三井やほとんど何もしない政党や労働組合には頼れず、職場の内外は、近づく参院選になんの期待も関心もない。まったく選挙にならないくらいの冷めようである。

 近ごろ、この地の炭鉱の歴史百年を振り返る、歌と踊りのイベントに取り組んだ。大方の予想に反し、立ち見も出るほどの超満員だった。その中で歌われた「労働歌」は久しぶりに労働者の魂を呼び起こすような響きがあった。

 「もやもやとしたのがふっ飛んだ。眠っていた怒りがよみがえった」と口々に言われ、「町中この歌を流して回ったらちっとはこの町もよくなるのかしらん」という声もあった。同盟のおばちゃんがこの歌に合わせて文化祭でみんなで踊ろうと呼びかけだした。

 また、若い僧侶の学習会に呼ばれた。「本格的にこの街の歴史を振り返ってみよう。過去にとらわれず宗教者の立場から何ができるできるか根本から考えていきたい」という動きもある。

 若いがまったく頼りない管理職の教師が職場にやってきて「自分たちががんばらないとどうしようもない」と、荒れがさらに進みつつある子供たちとかかわり合うことも増えてきている。

 今までの談合、惰性のこの町の慣行に、新しい風が起こるか。生の素朴な町の声を聞くと、もしかしたらという、その予感を感じる。


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