980525


炎天下の沖縄平和行進

感激で体中がしびれた

小林 隆史


 初めて、沖縄平和行進と普天間基地を包囲して人間の輪をつくる行動に参加しました。

 名護市役所の中庭で出発式を行っている最中に、空をおおっていた灰色の雲から雨が降り出しました。これから三日間、梅雨の下での行進の厳しさを予感させられます。

 名護の市街地をぬけたころ、「もう四キロは歩いたのかなー」と思ったのですが、実際に歩いたのはまだ二キロ。「これで六十キロも歩けるのか」とさらに不安になりました。

 午後からは直射日光がさして、日焼けした両腕が痛くなりました。体力と気力が消耗しているのがよくわかります。

 小学校、中学校前では、全校あげて平和行進団を歓迎してくれました。また、沿道からは市民の方々が手をふって激励してくれます。疲れきっていて、ただただひたすらに右の足と左の足を進めている私は、この激励で命を吹き込まれたように「元気」がわいてきます。

 「ご苦労さんです。ご苦労さんです」と手をふって励まして迎えてくれる声に、「ありがとう、ありがとう」となんべんも声をあげてこれにこたえました。体中が感激でしびれたようになりました。こんなに感謝されるデモ行進は私にとっては初めての経験でした。

 休憩のときには、各村の役場の人たちが冷たい麦茶にスイカや黒糖などをふるまってくれました。読谷村では助役が激励のあいさつをしたり、ほんとうに県民あげての基地撤去運動であることを、体で理解できました。

 シュプレヒコールの音頭は本土から参加した若い労働者や女性が交代で行っています。「足に豆ができたり、そうとうに疲れているから、何人かは落後するのではないかな」と私は思っていました。しかし、いっしょに参加した人たちは励ましあって最後まで歩き通しました。

 沖縄戦で、梅雨のなか住民が裸足で逃げのびていく映像を思いだしたのですが、私は歩くことでしか追体験することはできません。ただ歩くだけでもこの暑さと雨のなか、ほんとうに厳しい日々でした。

 六十五キロ歩いたことがこれからの闘いの心の支えになるような気がしています。

 いま足の豆が三つ、足の親指の爪が半分変色して、腕やうなじの皮がむけ始めてきました。

 皆さんご苦労さんでした。そして、ありがとう。


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