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ドヤ券求め800人が列

こんな不況は初めてだ

東京 松本 玲子パート労働者 飯塚 恵美子


 昨年の十二月、急に会社から「来年の三月でやめてほしい。新年度からは採用しない」と言われました。そう言われたパートの人は十八人にのぼりました。私は四年間勤めましたが、なかには十六年勤めていた人もいて、「どうしてなの」ととまどっていました。

 会社は銀行からリストラを迫られていたそうですが、それにしてもひどい仕打ちです。私は腹がたって会社に文句を言いましたが、労働組合もなく、泣く泣く三月末で退職しました。

 いろんな友だちに「頭にきた」と言いながら、次の仕事を見つけるために声をかけていたこともあって、幸い、友人から福祉事務所のアルバイトを紹介してもらい、四月からまた働くことができました。

 日本の三大「ドヤ(宿)街」といわれるそのなかの一つの地域を受け持つ福祉事務所とあって、社会の縮図を見る思いがします。そこの労働者は、建築や土木、港湾の現場で働いてきた人たちですが、仕事がありません。

 福祉事務所では、仕事につけない労働者に食事券とドヤ券を毎日発行しています。私は内部の事務の仕事ですが、券を発行する仕事をしている人の話によると、毎日七百人から八百人が列をつくるそうです。四月になってからパタッと仕事がなくなったことで、来る人の数は日ごとに増えています。

 仕事がない日が続くこともあって「常連」も多いですが、初めての人も多いようです。若い人も結構います。福祉事務所では、一人ひとりと面接をして券を渡していきます。「二十年住んでいるけど、こんなひどい不況は初めてだね」と言う人。なかには「俺は山形県の人間だ」という人がいて、係の人は「たぶん出稼ぎにきて住み着いたんだろうね」と言っていました。

 面接のやりとりを聞くとはなしに聞いていると、こんなこともありました。

 「生活保護を受けるかい?」

 「いや、仕事があれば働きたいから。なければ毎日でも券をもらいに来るよ」

 働きたくても働けない。そんなもどかしい思いが伝わってきます。


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