980415


貧乏人に冷たい不況の風

友人の職場が倒産!

「明日から来なくていいです」

東京 松本 玲子


 三月三十一日の朝早く、友人から電話がかかってきました。その友人とは、労働新聞二月十五日号に「短大を卒業して二年間で二回も再就職活動をして、給料が十万も減った」という話を書いていた、あの彼女です。彼女からの朝早い電話は、いつもあまりよい話題ではありません。フッと不安がよぎります。

 「どうしたの、またなにかあった?」

 「会社が倒産したぁ…」

 彼女は、労働新聞に投稿した後、また職場を変わっていました。給料が安くて待遇の悪いウエイトレスの仕事を辞め、香辛料関係の中堅企業で事務員になっていました。今度は今までのように小さい会社ではなく、工場も持っている会社だとうれしそうに話してくれてから、まだ一カ月しかたっていません。給料もまあまあだし、仕事も覚えて、今度の職場では長く働けそうだと言っていたのに…。

 彼女が話してくれるには――採用された時はもちろん、経営状態が悪いなんて話はでなかった。ただ、経理に「健康保険は四月から」と言われて、何かおかしいと思っていた。はじめの一週間は仕事の流れを覚えるために、経理で仕事をし、その時は取引先の銀行の支店長など、お偉いさんがたくさんきて、会議室で話をしていたり、経理の人も銀行に出向いて慌ただしかった。「手形が…」などという言葉も飛び交っていたが、経理や経営について知らなかったので、何のことだろうと思っていた。

 その後、業務課に回されても、海外から原料を買い付ける部課のところで、入っているはずのものが入っていなかったりとトラブルもあり、会社全体がピリピリした雰囲気。役員たちが集まって会議をしたりということもよくあった。

 倒産前日、上司に「明日の朝早く来てくれ」と言われ、三十一日、社員がいつもより一時間ほど早く集まった。会議室に集められて朝礼が始まったら、社長が泣きながら入ってきて、役員たちも下を向いて泣いていて、社長が「申し訳ないが、がんばったのだが負債を出してしまい、自主廃業することになりました」と…。それから「明日から来なくていいです」と。すごくびっくりして、どうすればいいんだろうと思った。

 でも、まわりの社員たちは動揺はしていなく、「やっぱりそうか」という雰囲気。その後は手続き上のことが淡々と言われ、保険証と年金手帳と一カ月分の手当をもらって帰った。他の社員たちは家庭を持った人がほとんどで、経理でいっしょだった三十歳代後半の女性は、夫が亡くなって一人で子供を育てていた。そんな人はこれからどうなるのかと心配だ――とのことです。

 彼女は会社が倒産したことを実家の両親にも言えず、しばらくはあっけにとられていたようでした。でも、「もう貯金もないし、すぐに仕事をみつけないと、家賃も払えなくなっちゃう」と、再び「再」就職活動の生活に戻りました。田舎に帰って親の世話になるのはいやだと、一生懸命仕事を探しているようです。

       *      *      *

 先日、私の実家のある町を訪ねました。仕事で近くへ行ったので、なつかしくて寄り道をしたのです。居酒屋やスナックなどのある通りを歩いていると、開店の準備をしていた店のママたちが道ばたで話をしています。

 「○○さん、最近見ないわね」

 「あら、あの人ね、会社が倒産して大変らしいわよ」

 そのまま通り過ぎてしまったので、その後、どんな話が展開されたのかは知りませんが、本当にあちこちで、失業や倒産の話を聞くようになりました。そういえば、久しぶりに通りかかった親戚の会社があった土地には、ディスカウントの電器店ができていました。親戚の会社はまだ倒産はしていないようですが、経営は悪化しているようで、土地を売って規模縮小したようです。

 不景気の風は貧乏人のところにばかり強く吹くようで、「もういい加減にして!」と言いたくなります。


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