980415


日曜・夜間就労拒否…

権利はこうかちとるもの

団結固めてストへ突入

港湾労働者 大野 直人


 私は、港で船やコンテナから荷物を積み降ろす仕事をしている。身分は派遣労働者で、人手が足りないときに、私たちに仕事がまわってくる。港では機械化が進んでいるが、派遣労働者にはもっぱらきつい肉体労働が待ち受けている。

 港に入ってくる船はほとんどが外国船だ。最近は、中国や韓国、東南アジアからの船が多い。玉ねぎやキャベツ、串刺しの焼鳥など生鮮食料品の輸入が驚くほど多い。

 コンテナの荷降ろしでいちばん困るのは、事前に荷姿がわからないことだ。コンテナを開けたとたんにドドッと荷物が落ちてきて、労働者が下敷になる事故が起きたりする。とても危険な作業だ。

 さて、きょうは四月九日。全国港湾は朝から四十八時間のストライキを構えて春闘を闘っている。私も全港湾に加盟している。

 組合から「朝七時半までに来るように」と指令があったので、定刻に出勤。

 八時。組合の説明会が開かれ、闘いの見通しが話される。

 九時。港で働く他の組合と合流して総決起集会にのぞむ。八百人の労働者が赤い腕章をつけて、勢ぞろいした姿は力強い。

 決起集会では、首切り攻撃と闘うオーストラリア・パトリック社の港湾労働者を全面的に支援していくことを決議した。港湾労働者の闘いは一国だけでは闘えない。日本で港を止めるならアメリカでも止めてもらわなければ効果がない。国際連帯は当然のことだ。

 集会後、四十分ほどデモ行進をやり、気勢をあげた。

 ストライキは気持ちがいい。日ごろいじめられているけど、このときだけは大手をふって仕事をストップできる(あとで仕返しがくることも多いが)。

 きょうのストライキに至るまでには、前段の闘争があった。三月中旬からは日曜作業拒否、月末からは十八時以降の夜間作業を拒否してきた。

 これを破る者がいないかどうか、パトロールも毎日やった。一般の組合員もローテーションを組んで参加し、これによってみんなの自覚も高まった。組合の機関紙での情宣や、組合員同士の話し合いなども進めながらストライキに入る体制がつくられていった。

 ストライキに入ればもちろん賃金カットになる。その分は組合も補償しないので、二日間やれば三万円近いカットになる。それでも全員納得してストに参加した。

 今回のストライキでは港湾年金の問題が焦点の一つとなった。港湾年金は六十歳から十五年間、年間三十万円の年金が支給されるが、これを二十万円に切り下げ、さらに今年入った人からは支給しないという攻撃がされたからだ。

 港湾年金は労働者に組合加入してもらうための目玉でもあるので、組合にとっても打撃となる。この問題は継続協議にもちこみ、九日の午後にストライキは解除された。

 きょうのストライキは、若い労働者にとっても、「自分たちの労働条件はこうやってかちとるんだ」ということを体で感じる場になったにちがいない。これからも、労働条件低下を招く規制緩和に反対して闘っていきたい。


Copyright(C) The Workers' Press 1996, 1997,1998