980405


フィリピンを訪ねて

闘う活動家の姿に感銘

大学院生 陣野 真留子


 一九九八年三月、私は三度目のフィリピンを訪れた。アジア通貨危機はフィリピンをも襲い、物価は上昇していた。なかでも石油価格値上がりのため、庶民の足であるジプニー(乗合バス)の最低料金が二・五ペソ(一ペソ=三・三円)になっていたのが驚きだった。去年三月の最低料金は一・五ペソだった。

JICAの開発で住民に被害

 今回、日本の国際協力事業団(JICA)によって計画されたルソン島中部のパンパンガ・デルタ開発計画(PDDP)の現場を訪れた。この計画はパンパンガ川下流に堤防をつくり「洪水防止」と「潅漑(かんがい)整備」のために、川幅を広げるというもの。 しかし、住民の話ではこの地域は最近洪水に悩まされていないということだった。フィリピン政府や日本企業にしてみれば、この周辺地域を工業用地にしたり、高速道路をつくったりして、もうけたいのだろう。

 これによって一万世帯が影響を受け、政府から立ち退きをせまられている。経済的補償や再定住地の保障は十分ではない。住む家も失い、そして仕事も失ったらどうすればよいというのか? 漁民は魚をとれなくなってしまうし、農民は海水が畑に入ってきて農業ができなくなってしまう。なんとプロジェクトが始まって以来、一年に三回あった収穫期が年一回に減ってしまった。

 また、この計画は流域の環境全体にも悪影響を与えるが、公共事業に義務づけられた環境アセスメントは無視されている。おまけに、日本政府が無償で実施してくれるわけではないので、フィリピン政府にとっては借金となって残ってしまう。このプロジェクトは全くフィリピン民衆の役に立っていないのだ。

 交流した現地の住民からは「日本人の皆さん、ただちにこの計画をストップさせて下さい」と強く言われた。日本でもこの呼びかけにこたえる運動をもりあげていきたい。私たちは住民からすごく期待されているのだと思った。

   ◇  ◇  ◇

 フィリピンで印象に残ったことは、社会正義のために活動している人たちが、活動家としても人間としても魅力的な人が多いということだ。海外出稼ぎ労働者支援団体のスタッフは、自らも出稼ぎに行っていたサウジアラビア国内で、米国大使館の前に反米軍基地デモをやっていたという。これには非常に感銘を受けた。

 工場が経営者によって一方的に閉鎖されたことに対して、ピケットラインをはって職場復帰を求めて闘っている労働組合では、二十六歳の女性が二人の子供を母に託し、夫とも離れ、労働者の権利を守るためにピケでがんばっていることにも感銘をうけた。学生時代から何か活動していたわけではないが、働きだしてから、やむにやまれずこうした活動をしているという。

 ある活動家と話していて印象的だったことがある。

 「たばこを吸うのか?」ときかれ、私は「吸わない」と答えた。

 「なぜ吸わないの?」

 「体に悪いから」

 「僕たちは別に長生きしたくない」

 「……」

 みなさんはこのやりとりをどう思うだろうか。私は個人的にはたばこは好きではないが、彼らの運動に対する意気込みを感じた。「長生きしなくてもいい」というのは、生死をかけた、いつ死ぬかもしれない闘いをしているからだろうと思った。

 そういう彼らと会っていると元気がでてくる。運動規模も大きいし、いろんな階層、年齢の人がいる。歌・踊り・劇もあり、女性がリーダーになっている場合も多い。またフィリピンにいくことがあれば、どのように人を組織するのかを勉強してみたいと思っている。

 これからも、フィリピンやアジアの人びとから信頼される日本をつくるために、フィリピンの人びとと連帯して闘っていきたい。私の心には、いつも彼らがいる。もしかして彼らと再び会うことはできないかもしれないが、私の心にはいつも彼らがいる。彼らが私の心の支えになっている。

 また彼らと会えることを願って、私は日本でがんばっていきたい。


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