980325


やっぱ好きやねん

北京と南京(上)

ひまな ぼんぺい


 去年の暮れに引いたカゼは半日も休めないままにねじ伏せていたのだが、朝晩に襲う悪寒が抜けないままきて、明日は北京という二月一日の夕方には熱っぽくなり、さすがに心配になった。北京の友人に電話で聞くと「氷点下七度から四度、けっこう寒いですよ」と言う。ともかく行くだけ行って、調子が悪ければホテルに残り、東京ではかなわぬ休養をとることに決めた。

 北京は春節最後の日だった。長安街と周辺のビルや天安門のイルミネーションが美しい。香港返還と中国共産党第十五回大会の成功と、いいことが重なって、今年の春節を迎える市民の気持ちには格別のものがあったという。

 ゆっくり眠ろうと思っていたのに、真っ暗ななか目が覚めた。手探りで時計を探して見ると、まだ四時だ。しばらく横になっていたがちっとも眠くならない。服を着てロビーに下りた。門衛たちもソファで仮眠している。わきで一服して表に出た。熱っぽい顔に凛(りん)とした空気が気持ちよい。

 泊まったところは北京の宣武区の天橋飯店で、天安門広場のほぼ真南にあたる。ホテルの前の通りにも花の形をした直径二メートルくらいのイルミネーションが十メートル間隔で光っている。その一つ一つに短冊が下げられていて、「小心有電」と書いてある。電気に注意という意味だ。

 回族の青年がコークスをガンガンにおこした釜でお湯を沸かしていた。そばのテーブルに蒸籠(せいろ)が積んである。出勤前の人びとがここで朝食をとるのだろう。何時に開店するのかと聞くと、青年は僕の全身をじろりと見てから「何時に開店するのか」とつぶやいて中に入った。

 ホテルに戻るとタクシーの運転手がいた。天壇公園は何時に開くかと尋ねたら、この車で行けと言う。南門で降ろして北門で待っていてやると言う。同行のKさんが朝食を一番で食べて天壇の写真を撮りたいと言っていたのだ。

 食堂が開いたので腐乳をなめなめお粥(かゆ)をすすっていると、「早いねえ」とKさんが来た。タクシーのことを話すと、女性二人を交え真冬早朝の天壇公園へ四人で乗り込むことになった。

 公園は朝日が昇り始めたところで、長い影を引いて散歩している老人のカップルが多い。僕が老後、彼らのように散歩する姿は想像できないが、近所にこんな公園をもっている人びとをうらやましく思った。寒さはさほど感じないが、ほおを触ってみると薄氷のようにぱりんと張っている。

 白い大理石を積んでつくられた圜丘(えんきゅう)は、南門を入ったところにある。皇帝はここで冬至に天をまつったのだそうで、その中心にある直径八十センチくらいの円盤状の石の上に、おばあさんが昇ってくる太陽に向かって直立不動の姿勢で立っている。澄明で緊張をたたえた冷気を突き抜けてぬくもりを伝えるオレンジ色に輝く朝日。周囲は緑濃い樹木。彼女は天と地の「気」を吸っているのだろう。効きそうである。中心の石は彼女が占拠して動かないので、僕はそのそばに立って太陽と対面し、深呼吸を繰り返した。

 ここで時間を過ごしてしまったので、皇穹宇(こうきゅうう)をさっと見て、祈念殿はまたねという感じで駆け抜けて北門に着くと、運転手が車を滑らせてきた。ホテルに着いて料金を尋ねると、僕に金額を言えという。メーターを倒していないのだった。五十元(約八百円)出してどうだと聞くと「ちょっと少ない」と言う。十元プラスして「まあまあだ」ということになった。結果として運転手の好意に甘えてしまったのか、あるいはボラれたのか、わからない。しかし、一時間待ってもらって、一人十五元という料金には十分満足した。

 いずれにせよ、僕は天壇で吸った「気」でカゼを再びねじ伏せ、六日間の旅を無事に過ごせたのだった。


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