980315


長野五輪

世界に感動与えたが

スポンサーによるスポンサーのための

長野市  落合 健二


 寒く澄み切った冬の夜空は、色とりどりの花火でいっぱいになり、それはもう口では言い尽くせない美しさでした。長野冬季オリンピックは、二月二十二日の夜、その幕を閉じました。しかし、そんな華やかさとは、全く反対にいろいろと考えさせられたオリンピックでもありました。

 まず第一に、大会前は「自然破壊」ということで、スキーコースの問題でもめました。でもこれは「自然破壊」といえば聞こえはいいですが、裏ではスキーのメーカーとしては、どちらのコースの方がそのメーカーにとって都合がよいのか、というメーカー同士の争いがあったようです。

 第二に、大会期間中、流通業界は交通規制で運送時間を指定されたり、荷物の受け渡しを夜中から朝の七時までに制限を受けたりして、無理難題を押しつけられ、大変でした。

 第三に、通常のスキー客が渋滞、交通規制を見越して、ほとんど長野のスキー場には来ませんでした。これで、長引く不況にあえぐ観光業者にとっては、冬のかきいれ時なのに客がいないゲレンデで、「出るのはため息ばかりだった」ということです。そのため、資金繰りがつかないところも出てきそうです。

 第四に、経費の削減のために輸送バスを減らしたことで会場に行けず、せっかく買った高い入場券が使えないままに多くの人が帰っていきました。

 大会運営費といえば、招致時の七百六十億円から千三十億円に膨らんだとのことです。

 そしてその約三割をスポンサー企業からの協賛金が占めているとのことです。「ジャンプ」「滑降」「スピードスケート」とすばらしい競技が行われて、世界中の人びとに感動を与えたその大会は、実は巨大資本の絶好の宣伝道具になったということです。

 長野の特産品である「おやき」は、パンの大手メーカー(スポンサー)からの圧力がありましたし、地元の人びとによる「豚汁の炊き出し」は、大手味噌メーカー(これももちろんスポンサー)からの圧力がありました。大会運営委員会は、さながらスポンサーの子分みたいなものでした。

 話は変わりますが、タイ、インドネシア、韓国と金融不安が広まっていますが、金融資本が国境という壁を取り払って、旧来の地元資本を追い払い、アジアをその支配下に治めようとしており、それには、すべてのマスコミによる「自由化、情報公開、改革」の大キャンペーンが果たしている役割が大きいと思います。巨大資本のマスコミを使った大キャンペーンを見ていると、つくづくオリンピックが、色あせたものに見えてきました。

 「スポンサーによるスポンサーのためのオリンピック」が定着してしまったということです。

 さて、県外の知り合いからは、「長野は景気がよくていいねェ」とよく言われますが、とんでもありません。オリンピックということで、道路工事は去年の十二月いっぱいで打ち切られており、公共事業に頼っていた土建業界は大変です。「オリンピック」でいいのは、スポンサー企業とマスコミだけで、このつけは税金という形で長野市民にこれから大きくのしかかってきます。

 もうほんとうに、やってられません。


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