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公的介護保険

老人は死ねということか!

福祉の将来に大きな不安

東京  松尾 百合


 地域のなかでこれまでに三回ほど、公的介護保険の学習会を行ってきましたが、十二月九日、とうとう公的介護保険法案が成立してしまいました。

 社会保障関係についてさまざまな改悪がされていますが、そのなかでも介護保険に関しては、「福祉を金で買う制度に変更してしまう」という重大な問題だと感じています。

 そこで、成立直前の十一月二十七日、学習会をしてきたグループや地域の人たちといっしょに、国会の厚生委員会所属の議員へ申し入れに行きました。反対の意思表示だけでもしたいと、福祉施設の現場で働く人や、親を施設に預けている人などが参加しましたが、「とにかく通してしまおう」ということだけが先行し、ろくに実質的な審議もしない国会に、みんな不信感を持っていました。

 申し入れに行ったときは、秘書にしても、議員にしても「ハイハイ、わかりました」と言うのに、次の日には新聞に「十二月二日に裁決されることが決まった」と載っていて、なんなんだ!と頭にきました。私たちの意思表示や意見が何も反映されてない。国会へ行ってみて、あらためて労働組合などがこの問題を取り上げて闘うことが大事だと痛感しました。今まで勝ち取ってきた福祉を労働者や組合が守らずに投げ捨てているとすれば、私たちの小さな運動だけでは守ることはむずかしいでしょう。

 新聞にはこの制度の危うさということで、保険料が決まっていないことや、サービスの供給が不十分で、かけ捨て保険になる可能性などが書かれていますが、「今までの福祉が根底から保険に置き換えられてしまう」ということに関しては書かれていません。だから、「今までの福祉プラス介護保険」だと思っている人も多いでしょう。私も以前はそう思っていたのですが、学習会を通して中身を知り、がく然としました。「お金を出すんだから、今よりよくなるのは当たり前」と思っていたのに、実際は「お金は取られる、サービスは悪くなる」というひどい制度だとわかりました。

 「自由契約であなたたちが選べますよ」などといいながら、結局のところ施設が足りないんだから選びようがありません。現行の福祉制度では、少なくとも必要が生じたときに行政に福祉の措置を求める権利だけは保障されているのですが…。

 市場主義、自由競争の導入でサービスが向上するといわれていますが、市場主義でサービス向上なんて望めないのは明らかです。されるのはコストダウンだけで、つまり人件費の削減です。人手をかけなければ福祉の質は保証できないので、コストダウンをするには福祉の質を落とさざるを得なくなります。

 パートやボランティアを使うといっても、やっぱりプロにはかないません。施設に勤めている人たちは、入所されている人の人格や今までの生活歴などを含めて考えていて、何か変化が起きたときにプロとしての適切な対応ができますが、パートやボランティアでは難しいのではないでしょうか。それにパートやボランティアを使うということは、福祉を本業として働いている人の賃金を低くするということにもつながります。

 つまり、福祉などの仕事に対する評価が低いということです。「家庭の主婦のパートを活用すべき」と誰かが発言していましたが、看護とか介護とか「女なら誰でもできる」というのはおかしいと思います。

 介護保険ばかりか、 医療負担の増大はもちろん、来年度予算では母子家庭への児童扶養手当のカットや難病の人たちの医療費の公費負担削減と自己負担の導入が実施されようとしています。まさに「社会的弱者」の命綱を断つものです。

 このように社会保障はあっちもこっちもお尻に火がついて大騒ぎという感じなのに、かたや山一証券などの金融機関には公的資金の導入なんて、本当にムカツク!ふざけるな!と言いたいです。

 難病の人たちの医療費の公費負担で二十億円の削減が議論されている一方、金融機関には何兆という金がつぎ込まれているなんて、政府は貧乏人に対してなんてケチなんでしょう。そんな弱いものいじめをしなくてもいいのに、と思います。

 一緒に学習会をやってきた八十歳の医師の方が「老人は死ねということか」と言っていましたが、このままでは福祉がこれからどうなってしまうのか、危ぐを抱いています。

 法案は通ってしまいましたが、まだ声を上げ続けていきたいと思います。これほど問題の多い法律です。モデル事業実施、要介護認定の開始と進むにつれ、住民のなかから不満や怒りが噴き出してくるでしょう。

 二〇〇〇年の実施にむけ、実施主体になる地方自治体にたいして私たち住民が声を上げて、私たちが求める福祉を実現させるように要求していきたいと思っています。

 来年も頑張りたいと思います。


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