971215


97年を振り返って

過去最低の賃上げと「年賀状」

自動車工場労働者  赤木 尚武


 休憩時間に年末年始の連休の過ごし方について皆で話していると組長がやってきた。「今年も年賀状は自粛ということでお願いします」と言う。パソコンを買ったばかりのA君は年賀状作りに執念を燃やしていたらしく腐ることしきりだ。絵心があって版画を始めたばかりのBさんも残念そうな顔をしている。

 年賀状だけではない。バレンタインのチョコレート、退職者の記念品の自粛、葬儀の香典の金額までに立ち入って「虚礼廃止」を会社がいいだして既に久しい。不況で生活が苦しいだろうから、そうしろというのだ。過去最低の賃上げだから年賀状も出せまいというのだ。生活が苦しいのはその通りだ。

 ところが、今年の春の忙しかったことといったらどうだ。

 ただでさえ忙しいこの時期に、貧乏人いじめの消費税率の五%へのアップによる駆け込み需要もあって、連日の残業と連続の休日出勤だった。

 期間工も大量に雇っての大増産で体も心もクタクタだった。おまけに、下請けの部品工場の火災のあおりも食って四月までそんな調子で死にそうだった。

 商業新聞は「バブル期並」とみだしを掲げたが、現場は「バブル期以上にこき使われた」のだ。そして、大増産と円安差益により会社のもうけは九月の決算で「バブル期並」だったことが明らかになった。

 俺たちは、残業手当が若干ついたものの、五月からは駆け込み需要の反動で仕事がさっぱりなくて苦しい生活を強いられている。定時間まで仕事がなくて、途中でラインが止まることもしばしばだ。期間工もほとんどいなくなり、若い者は忙しい工場に長期応援に出されてしまってさみしい限りだ。

 組合は「こんな時こそ有給休暇を取得しよう」などとトンチンカンなことを言っているばかりで、過去最低の賃上げ回答に反省もない。それどころか、会社の要求に沿って裁量労働制の導入や女性現場労働者の労働条件の改悪など労働者を売り渡すことに奔走(ほんそう)している。

 今年を振り返ってみると、『会社の儲けは「バブル期並」なのに、労働者は年賀状を自粛せねばならないほど貧しい』という、資本主義の象徴的な実態がより顕著になった一年だった。

 そして社会変革の必要性をさらに確信させる一年だった。


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