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この賃金では一家養えない 

−零細企業体験記−(下) 

大門 直哉(兵庫県尼崎市) 


  勤務時間は、朝八時から午後四時四十五分までである。昼休みは十二時から十二時四十五分までで、実働八時間となっている。残業は二時間で、定時終了後に、パン一個と牛乳一本が支給され、午後五時〜六時四十五分までである。
 私は勤めたその日から二時間残業だった。それからも一日十時間労働が当たり前で、定時で帰る者は誰もいない。第一土曜日と祝日は休日といってもほとんどが出勤で、ともすれば日曜出勤も頼まれる。休めば仲間から白い目でにらまれることすらある。アメリカでシカゴの労働者が血を流し、一日八時間労働制を闘いとった、メーデーの起源からどれほどの年月がたっているのだろうか。
 一日のせめてもの楽しみは、昼飯と家に帰ってからの入浴、ビールでの晩酌である。よめさんにグチをこぼし、バラエティー番組を息子といっしょに見て寝る。いつしか、これが一日の疲れをいやす日課となっていた。
 なぜ、これほど労働者は働くのか。低賃金だからだ。残業なしではとても食っていけない。零細企業の労働者にとって、週四十時間労働制はイコール死と言っても過言ではない。もし週四十時間労働制を実施するというなら、国や自治体が残業分の賃金を保障すること。あるいは大企業、親企業が製品単価を大幅に上げる以外にない。現状の零細企業が週四十時間制を保障するにはあまりにも厳しい状況にある。
 私は四人家族で妻と短大一年の娘、中二の息子を抱えている。一カ月の試用期間を終えて、社長と専務に正社員としての労働条件を示されたが、基本給は九千六百円(一日)×二十五日で二十四万円、それに皆勤手当二日分、家族手当五千円である。休むことなく働いても約二十六万円である。それに、税金、厚生年金、健康保険などを引かれれば、二十万円足らずの賃金でしかない。毎日、残業をやっても手取りは二十四万〜二十五万ぐらいである。もちろんボーナスもない。勤続三十五年という熟練の親方の賃金ですら三十万円たらずだという。私などは、家賃だけでも七万円もするというのに、こんな賃金ではとてもやっていけない。
 親企業に単価をたたかれ、時には赤字覚悟の零細企業は、こうした低賃金労働によって支えられている。給料の三倍の生産を上げなければ、零細企業はとてもやっていけないという。
 零細企業で働く労働者にとって、残業しないで食える賃金は『夢のまた夢』である。ちなみに大北工作所の労働者で、妻帯者は金田さんと私だけで、あとは五十歳代の独身労働者である。こんな賃金でもやっていけるのは独身労働者ぐらいである。

労働者の話題は

 一日の会社での楽しみは昼食と休憩時間である。私はシンマイであるため、みんなが食堂に集まる前に、みんなのお茶と味噌汁をついでおく。食事は業者の弁当で栄養価満点で結構うまい。
 昼はNHKのニュース番組を見たり、雑談しながら食事することが通例で、バラエティー番組をみることはほとんどない。昼食が終わると、それぞれ自由な時間をとる。会社の二階に住み込んでいる独身の山田さんは、現場に汚れたマットを敷いてごろ寝する。亀谷さんは食堂のテーブルで、うつ伏せで寝ている。金田さんや西さんなどは、テレビを見ながらの雑談で時を過ごす。
 この昼食時の労働者の会話から、労働者が普段どんなことに関心をもっているのかが、かいま見える。それは一にギャンブル、二に風俗、三に趣味で、政治の話はほとんどでてこない。ときに先代の社長が社会党の代議士を支持していたとか、以前の職場で選挙の動員にかりだされたとかの話がでるくらいだった。

退職を決意

 現場の雰囲気や仕事にはなれてきたものの、まだ金田さんとの人間関係や職場環境、それにこれからの仕事への不安もあり、「この会社もここまでだな」というあきらめがでてきた。
 入社後、約一カ月が過ぎたころ、私は社長と専務に「人間関係がうまくいかない(金田さんのこと)」ことを理由に、退職を申し出た。二人は残念そうな顔をしていたが「しかたないな」といった感じだった。
 そして、この間にお世話になった西さんと、関係がうまくいかなかった金田さんにも一応「仕事に自信が持てない」ことを理由に、退職のあいさつをすませた。金田さんからは「うちの会社は、ボーナスもないし、長く勤めるような会社ではないかもしれないな。だいちゃんも仕事はそこそこにできる。今度いくところでは、先に給料を決めず、十日間ぐらい働いてから給料を決めたほうがよい」などと、親しみのこもったアドバイスを受けた。
 私は最後の二時間残業を終え、今日で、この会社も終わりだというさわやかな気分(ちょっぴり未練も…)で、足早に工場二階のロッカー室に入った。するとそこに、定時で帰ったはずの金田さんが酒を飲んで私を待っていた。「だいちゃんどうしても辞めるんか、考え直してくれへんか。社長と専務には俺の方から今日にも話すから、もう一度考えてくれ」と、金田さんからまさかの慰留を迫られた。人間関係がうまくいかなかった張本人からとどめられ、面食らった。あまりに熱のこもった慰留に困り、「じゃあもう一度考えて明日返事をします」ということで、その場を切り抜けた。
 しかし、すでに述べたが、入社一カ月後に私に示された賃金では、とても家族四人が生活できる賃金ではなかった。それも職安での基本給二十五万〜三十万円といった求人内容よりも低かった。私は、社長に「これは職安の求人案内の内容とも違う」と抗議したが、受け入れられなかった。また、まったく余裕のもてない労働の日々にけじめをつけるため、再度退職を決意した。

 零細企業での労働は、わずか四十日間ぐらいの短い期間であったが、私にとって貴重な経験となった。いしょに働いた仲間に感謝する。


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