971115


 学童保育で感じた意識の違い

牛島 陽一 


  最近、小中学生が巻き込まれたり、かかわったりする事件が相次いで起こり、いじめ問題の深刻化とあわせて、文部省がいろいろな対策を講じようとしている。その一つにカウンセラーの配置というのがある。具体的には、いくつかモデル校か問題校かしらないが選任のカウンセラーを配置している。
 聞いた話だが、カウンセラーが教師に「何でも気軽に相談にくるようにいってください」と言ったそうだ。それに対し教師がいうには「カウンセラーに相談に行けと、生徒や親に言うことが大変なことなのですよ。すくなくとも言われた方はいよいよ先生に見放されたと感じる」というのが現場の空気だそうだ。
 わたしは自分の息子のことで以前に先生から「一度教育相談所で相談されたら」と言われたことがあり、そのときのいやな感じを忘れることができない(先生は、まじめに考えて言ってくれたのだが)ので、このやりとりは肌で理解できた。
 話は変わるが、わたしは学童保育の保護者会活動に最近までかかわっていた。そこでも前の例とは違うが皮膚感覚の違いということを強く感じる場面がいくつかあった。
 保育所や学童保育に子どもを通わせている世帯は、おおきく二つの階層に分化している。一方は母親が教師、保母、看護婦、公務員など安定した職業に就いている層である。世帯の所得は水準が高い。もう一方はパートや零細企業、あるいは片親世帯など所得からみたら低い階層の世帯で実際の問題を多く抱えている層である。しかし学童運動に参加するのはどちらかというと高所得層が多くなる傾向がある。
 県レベルの保護者の交流会での席上で親の学童保育運動へのかかわりについて議論していたときのことである。「親がもっと、積極的にかかわらんといかん」という意見が出たので「本当に学童保育の必要な人たちは、運動どころではないという矛盾を抱えていると思いますよ」といって私の経験を話した。
 むかし私が勤めていたところは、朝の五時から夕方の五時までの仕事だった。もちろん共稼ぎで、子どもが保育所で熱を出すとやりくりして交代で迎えに行ったりしていた。ある日、子供の病気で私が休まざるを得なくなり、職場に電話すると「おまえは、いちいち子どもの病気くらいで休むのか。かみさんに何をさせとるんや」と頭ごなしにどなられた。子どものことで休んだり時間を作ることが、ある種の職場ではどんなに大変なことか。それで、「大事なのは、まずこんな状況を抱えている人が必要としていることを理解しないと、参加しない奴が悪いでは運動にならない」と言ったのだ。
 問題は、そのやりとりの後の助言者の発言だった。「保護者の方々が大変な状況の中でがんばっておられることはわかりますが、○○さんもそういうなかで闘ってこられたことだし、そういう動きを発展させて組合を作るなどして、これからも親の権利を勝ちとるためにがんばって下さい」と言われたのだ。
 これも当人は激励のつもりで言っているということはわかる。しかし私は、この人たち(学者や団体の専従職員など)には、組合づくりの大変さは理解できないだろうと思ってしまった。簡単に組合がつくれるなら今の日本の労組の組織率がわずか二〇%程度に落ち込むことなどないだろう。みんな歯を食いしばってガマンしたり、ささやかに抵抗したりしているのだ。


Copyright(C) The Workers' Press 1996, 1997