-
971115
「拒否したらどうなる?」
局長の『辞令』を渡す手がとまった
俺の<強制配転>日誌 最終回
飯岡 徹(上野郵便局)
九月一日(月)
辞令発令の日が来た。朝八時半、俺を含めた十四名の転勤者は副局長室へ集められた。労務担当が「名前を呼ばれたら一歩前に出て礼をして下さい」と、辞令の受け方を説明した。強制配転だっていうのに礼なんかする馬鹿があるか!と思いながら、俺は二日前を思い出していた。
二日前の土曜日。勤務中に郵便課長が「辞令発令当日の服装は原則としてスーツだから」と言いに来た。「何だ?原則スーツっていうのは。配転を強制したあげく着るものまで強制すんのかよ」と俺が言うと、「ま、とにかく原則はスーツだから」と課長はいう。
俺は、礼服に黒のネクタイでもしてやろうか、紋付き袴にでもしてやろうかと思ったが、郵便局の制服(官服)で出ることにした。これなら文句をいわれる筋合いはない。そしていつもと同じように俺は官服に着替えて副局長室へ向かったのだった。官服姿の俺を見た課長は一瞬ギョッとした。
辞令発令の最初は俺だった。「礼!」と管理者が号令をかける。周りを見渡すと他の転勤者も局長も管理者も皆礼をしていた。辞令という紙切れ一枚のために、しかも強制的に配転させられる職員に頭を下げさせるとは、まるで「赤紙一枚で戦地に送り込む」ようだ。腹が立って情けなくなってきた。
局長が辞令を読み上げる。「飯岡徹、荒川郵便局郵便課勤務のものであるが、九月一日付をもって上野郵便局普通郵便課勤務を命ずる」。
局長が辞令を渡そうとしたその時、俺は「辞令を受け取る前に一言言っておく。俺はこの配転は承服していない。もしこの辞令を拒否したらどうなるのか」と局長に尋ねた。局長は「その話はここでは…」と言って手が途中で止まってしまった。「ここではというけれど、ここ以外どこでするんだ」と俺は聞いたが返事はない。
自分の所属している労働組合が〈強制配転〉を認め、事実上推進している以上、組合からの援護は一つもないことは明らかだ。組合にいながら当局に対しては丸裸同然の状態では就労拒否は難しい。俺は自分に〈強制配転〉命令が出て以来、この配転問題は郵便局で働く全ての職員の、そして全逓組合員であれ全郵政組合員であれ、組合の違いをこえた共通の問題だとの思いを強くし、だからこそ俺は自分が行った転勤先で、この〈強制配転〉が何を意味するのかを訴えようと結論を出した。「嫌々ながら辞令を貰いましょう」といって俺は辞令を片手で受け取った。
発令の終わった後、エレベータに向かうと「アタマきますよ。俺なんか何にも話もないのに転勤だって言われちゃったんですから」と集配課の全郵政の若い組合員が話しかけてきた。皆に聞いたが、ほとんどが本人の意向を無視した〈強制配転〉だった。
俺たちはそれぞれ自分の職場に戻ってあいさつをした。俺は「強制配転で嫌々ながら上野郵便局へ行くことになりました」「組合の違いを乗り越えて強制配転を許さない職場をつくろう」、他の課にもあいさつをして回った。あいさつに回った先では「飯岡さんに出たなら次は俺ですよ」「いったいどうなっちゃうんでしょうかねぇ」などという声がさかんに上がり、配転に対する不安が募っていることがよく分かった。
職場の仲間たちとの別れのあいさつもそこそこに、配転者は荒川郵便局を後にそれぞれの配転先に赴いた。午後一時半までに勤務地に着かなければならない。俺は、上野郵便局に配転になった他の二人の仲間と局舎の前で落ち合うことにして、ひとり官服のまま自転車に乗った。空は晴れ渡っていた。今日から新しい職場での闘いが始まる。(おわり)
―あとがきにかえて―
今号で『俺の〈強制配転〉日誌』は終わります。早いものでこの強制配転からすでに二カ月が経ちました。この連載記事を書きながら、毎日新しい職場と格闘する日々でした。
強制配転が労働者にいかに精神的負担をもたらすか、一緒にいる家族にもそれを強いるものかを痛感しました。転勤がもとで自殺した人、郵便局を辞めた人、新しい職場に馴染めずノイローゼになって病院に通っている人(ちなみに俺はストレスで体重が三キロ落ちました)などなど、郵政局はさまざまな犠牲者を大量に生み出しながらこの〈強制配転〉を続けています。そしてこれを容認し、むしろ推進している労働組合が一方にあります。現場は組合の違いを越えて団結し、俺たちの手に組合を取り戻していこう、働く者が当たり前に生活できる職場をつくっていこうと思います。読者の皆さんから激励や感想をたくさんもらいました。これを糧にがんばっていきます。ご愛読ありがとうございました。
Copyright(C) The Workers' Press 1996, 1997