九月十八日に、ヤオハンが千六百億円の負債をかかえて倒産しました。熱海の小さな八百屋から、一代でのしあがり「流通王」といわれたヤオハンも、国内では利益をあげていましたが、海外へ手を広げすぎて息が切れたようです。
静岡県東部を中心に広がっているヤオハンの店舗のひとつが、人口二十四万の清水市にもあります。正確にいえば、今年の五月までは二店ありました。バスを改造した移動販売車までありましたから、ヤオハンの品ぞろえは、ダイエーやセイユーなどと比べて、庶民的というか、流行を気にしない気安さがありました。大手デパートの商品券をもらっても困るけれど、ヤオハンならという人が、自分のまわりにはけっこういました。
さて、五月に全部で五十八あった国内の店舗のなかから十六店を、ダイエー系列のスーパーに売却しています。その時に、清水店(清水市の清水店ですから、繁華街のど真ん中にありました)も売却され、緑色だったヤオハンの看板が、ひと目でダイエーとわかるオレンジ色のマークに変わりました。
経営危機はダイエーへの売却でもよくならず、業界三位のジャスコに助けを求めました。このままでゆくと、ダイエーに売らなかったヤオハンの四十二店がジャスコの手に落ちることになりそうです。
ジャスコの支援が発表された日に、清水市でひとつだけ残っているヤオハンに行ってみました。旧東海道沿いにある興津店です。
店に入って、あれっと思ったのは、青果や魚、肉などの生鮮食品が、今までと変わらない品ぞろえで並んでいることでした。でも、よくみると調味料や乾物や菓子などの棚はガラガラで、品切れになっていることを伝える断り書きがいたる所に貼ってあります。冷凍食品はアイスクリームをのぞいてすべてがカラ。安売りをしていた酒のコーナーも、独自に直輸入したと思われる外国産のビールをのぞいて、すべて消えています。コメがあった場所にも、断り書きが張ってあるだけでした。
もともとボウリング場だった建物を買い取った広い店ですから、倒産が伝えられるまではたくさんの客と、ついつい余分なものまで買い込んでしまう商売上手の商品があふれていました。
それが、今は客もまばらで、レジに立っている店員の制服がやけに目立ちます。
ただ、ヤオハンが出店するまで、そこに暮らす人たちは地元にむかしからある商店で買い物をしていたはずです。ヤオハンを、中堅スーパーと呼びますが、ボウリング場がそのまま店になってしまう規模ですから、地元にとっては巨大スーパー以外のなにものでもありません。たくさんの商店がヤオハンに客をとられ、店をたたんでゆきました。
そして、いつのまにかヤオハンが、地元での買い物にとって欠かせない店になっています。たまにしか行かない大型店と違い、毎日のように買い物にゆく生鮮食品を中心にした地域密着型のスーパーなのです。それが、ある日突然、地元とはまったく関係のない海外での事情で倒産してしまったのです。まったく無責任きわまる話です。
過剰投資だの、バブルのつけが回ってきただのと、もっともらしい説明をする前に、企業の社会的役割を真剣に考えるべきです。地元の商店をのみこみながら大きくなってきた企業の社会的責任が問われるべきです。
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