971015


 やっぱ好きやねん

 東京にやってきた石売り娘(下)

 ひまなぼんぺい


 彼女が帰国して一週間後に鴫原さんに電話した。
「蘭州に着いたっていう電話はあったんです。四日もかかってるんですよ、上海から列車で帰ったっていうんですがね。えらいもんですね」
 その後、手紙が届いた。九月十七日に書かれたものだ。
 手紙は、「おじさん、お変わりありませんか。勉強が忙しくてなかなか手紙が書けなかった姪(めい)の石売り娘をお許しください。皆さんのことが懐かしくてたまりません」で始まっている。姪が伯父にあてた形になっているが、中国の女の子はよくこんな書き方をするようだ。
「日本での一カ月の生活は、消すことのできない、深い印象を残しました。さまざまなことが絶えずはっきりと浮かんでくるだけでなく、皆さんの話の一言一言が思い起こされて、そのたびに頑張らなくてはという気持ちになります。この旅行は、私を確実に変えました。それは、勉強や生活の仕方だけでなく、考え方や意識までも大きく変えたのです。 

 私の学習意欲はいっそう強くなり、日本語を勉強しなければという、ある種の切迫した気持ちはとても表現できません。毎日、専攻以外の時間は日本語を勉強しています。二年後には日本に行く予定ですが、そのときの日本語のレベルは今と比べものにならないくらい高くなっているはずです。学習スピードがずっと速くなっているのです。日本で学習方法をつかむことができたのかもしれませんし、もしかしたら、石売り娘の心に生まれた遠大な理想が、このように激しく私を奮い立たせるのかもしれません。記憶のスピードは確かに上がっているんです。これはとってもうれしいことです。
 皆さんの期待と温かい気持ちに背くことは決してありませんので、どうかご安心ください。私が仮に一生をかけても、品物で皆さんのご恩に報いることができないことはわかっています。ただ必死に勉強することだけが、皆さんへの最大の恩返しだと思っています。学習、学習そして学習、努力、努力また努力です。
 私は、人類文明の進歩と先進的な世界を日本で目にしました。日本が、中国人である私の目にどのように映ったかわかりますか? それは、私の目を世界に向けて大きく開かせることになったのです。親愛なるおじさん、皆さんの援助のおかげで、はじめて今日の私があるのです。永遠に忘れませんし、永遠に心に銘記します」
 最後に、「お手紙をください。蘭州の山の上にある園芸学校の生徒にとって、それは外の世界を理解する最大の手がかりなのです。私たちは基本的に世の中から隔絶されていて、テレビを見ることもありません。私が受け取る一通の外国郵便を見て、同級生はいろいろなことを尋ねてきます。すてきなおじさん(ここで「好」がついた)、ごちそうになったシャブシャブのことは忘れません。とってもおいしかった!」と結んでいる。
 石売り娘は、この日本旅行を機に生きる方向を決めてしまったようである。しかし、彼女の前には、努力すれば自ら切り開くことのできる広大なフロンティアがあるのだ。

 ファイト! 冷たい水の中をふるえながらのぼってゆけ 


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