971005


「事業論文、読んでもらえたでしょうか」俺は局長に聞いた

俺の<強制配転>日誌 (3)

飯岡 徹(上野郵便局)


―局長室で―その2

八月二十九日(金)
 荒川局での最後の勤務を明日に控えて俺は窓口で仕事をしていた。顔見知りのお客さんに「配転」で上野局へ行くことを伝えたりしながら、慌ただしい時間を過ごした。
 午後二時過ぎ、郵便課長が俺を迎えに来た。二回目の局長との会談だ。局長室には、局長と郵便課長と俺の三人。「〈事業論文〉、読んでもらえたでしょうか?」俺は局長に聞いた。「読ませてもらいました」と局長。「私も読ませてもらいました」と郵便課長も返事をした。「あの中で俺のいっている〈地域における郵便局のあり方〉っていう問題意識が理解できますか?」俺は局長にたずねた。

*  *  *

 三年前に俺が書いた〈事業論文〉の内容はこうだ。
 俺たち窓口で働く職員は、景気の影響や時代の流れによる地域の変化を敏感に感じながら仕事をしてきた。窓口に出るようになって十四年、時代と共に町も人びとの暮らしも変わった。その結果、仕事の内容も質も変わってきた。それでは自分たちの事業は今後、地域のなかでどんな役割を果たしたらいいのか、町の人びとのニーズに合わせてどんなサービスを提供したらよいのか。
 その基本は「もっと地域を知ること」だと書いた。「地域に開かれた郵便局」だとか、「お客様志向」「事業基盤の確立」と、いろいろといわれてきたが、まずその前提となるのは自分たちが管轄している地域とはどんな地域なのかを知り、研究することだ、と俺は書いた。管理職も職員もその努力が不足していたのではないか、と。
 要するに「地域がさびれれば事業はなくなる」、これが俺の問題意識だ。それは自分自身が人口十八万人のこの町の一地域生活者でもあるからだ。友人の商店主たちや近所の事業者の人たちとのつき合いのなかから得た地域経済についての知識や情報は自分の仕事を考える上で大いに役立った。
 〈事業論文〉はこんなふうに構成されている。

一、私たちの町はどのような町なのか―荒川郵便局が業務を管轄する地域の産業構造と地域特性。
 (1)荒川区は中小・零細事業者の一大集積地域である。
 (2)地域の高齢化が急速にすすんでいる。
 (3)国際化がすすみ、外国人の利用者が増えている。
二、地域の個性に基づいて、どこに営業とサービスの重点を置くべきか。
三、他の公的企業はどのように地域にアプローチしているのか。
四、私たちの郵便局で、どのような施策が可能か。
 (1)商店街を利用単位とした「大口利用者割引」適用でサービスを図り、合わせて宅急便に対する企業競争力を強化する。
 (2)窓口にフロア係を配置し、高齢者、障害者、外国人など多様化する利用者へのサービスを拡充する。
 (3)地域団体による郵便局の業務見学や施設利用拡大で「地域に開かれた郵便局」づくりを。
 (4)郵便局の呼びかけで地域の他企業、団体と協力し、コンサートなど文化事業を行って住民に楽しんでもらう。

*  *  *

 これを書くために荒川区の商工振興課に行き、話を聞かせてもらった。提案と同時に体制づくりにも触れた。出来上がってから地域でもいろいろな人に配ったらけっこう好評だったが、論文を出せ、といった肝心の当局は内容に何の関心も示さなかった。地域で働く俺たちのこういった問題意識は局長や課長たちには響かないようだ。ひとつの局に二年しかいない彼らには、中期、長期の展望よりも、そこにいる間にどれくらいの「業績」を上げるかのほうが大事だからだ。
 結局、〈事業論文〉を読んでの局長の結論は「飯岡君の考えはぜひ上野局でいかしてくれ」ということだった。俺はここでやりたいの! 局長たちと話をしていると、配転させる口実としてサービスだ、活性化だと言っているに過ぎないことがよくわかる。
 「俺の配転は〈強制配転〉と受け取っていいのか」俺はもう一度たずねた。「またその話を持ち出す」と局長。「俺にふりかかった問題だ。当たり前だろ」答えはなかった。まともに議論する気もない当局に、俺は三十分で話を切り上げた。廊下に出ると、課長が「飯岡君はいい男だねぇ」と何故かほめる。そんなにいい男なら〈強制配転〉させるこたぁねぇだろ」
 窓口へ戻ったのは午後二時四十分過ぎ。みんなが「どうだった?」と様子を聞きに来る。局長室でのやりとりを伝え、しばらくして俺はカウンターに座り業務を始めた。この荒川郵便局に入って二十二年、窓口に座って十数年。だんだんと日の暮れていく町をながめ、同僚やお客さんと話をしながら仕事が進んでいく。こうしてこの窓口に座っていられるのもあと一日だ。
(つづく)


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