労働新聞 2024年3月5日号 8面・通信・投稿
学生がイスラエル/ パレスチナを訪問
何ができるか問い続けたい
日本・イスラエル・ パレスチナ学生会議 武智 志保さん・ 国際基督教大学1年
|
イスラエルがパレスチナ自治政府・ガザ地区で大量虐殺(ジェノサイド)の蛮行を働くなか、日本でも青年・学生を中心に抗議と運動が広がっている。ただ、問題の背景や現地情勢は、日本国民の中で十分には知られてはいない。こうしたなか、学生の立場から交流を進める、日本・イスラエル・パレスチナ学生会議(JIPSC)は昨年8月、現地スタディーツアーを行った。JIPSCの活動やツアーの模様について、代表の武智志保さん(国際基督教大学1年)に聞いた。(文責・編集部)
――JIPSCの活動目的について教えて下さい。
武智 JIPSCは2003年に設立されました。理念は大きく2つです。
まず、日本においてイスラエル/パレスチナ両地域の学生交流の場を設け、対話を実現することです。パレスチナ紛争が長期化するなか、両地域間の交流は困難で、それが紛争解決を難しくしている一因だと考えます。日本で交流の場を設けることには意義があると思います。
第2に、日本でイスラエル/パレスチナ問題への関心を喚起することです。日本ではこの地域・問題への関心が低く、「テロ」などのイメージが先行しています。紛争が激化しすると注目が集まるのは不幸なことで、しかも一時的です。この状況を少しでも改善することです。
――具体的には、どのような活動を行っていますか。
武智 オンラインでのミーティングや読書会が中心です。また、一般市民向けの勉強会や、大学でのワークショップも行っています。
イスラエル/パレスチナの学生を招いての交流は、毎年夏に約2週間の日程で実施します。
22年度の交流では、東京・福岡・長崎を訪れました。九州国立博物館(福岡県太宰府市)、大刀洗平和記念館(同筑前町)、長崎平和記念資料館(長崎市)などを訪れました。両地域の学生と寝食を共にしながら、「植民地主義」「近代化と民主化」「メディア」などをテーマにディスカッションしました。
23年度には、日本での交流ではなく、初めての試みとして、8月に現地へのスタディーツアーを行っています。
――現在進行中の紛争が始まる直前ですね。訪問した地域などを教えて下さい。
武智 日本からの参加者は8人です。
イエルサレム旧市街(東エルサレム)では「嘆きの壁」や「聖墳墓教会」のほか、会議に参加したパレスチナ学生の祖母宅を訪問しました。ヨルダン川西岸のベツレヘムでは博物館や「アイーダ難民キャンプ」、事実上の首都・テルアビブの「ベングリオン・ハウス」、エルサレムでは日本の非政府組織(NGO)なども訪問しました。
――どのようなことを感じましたか。
武智 ツアー参加者の感想を概括すると、おおむね4点でした。
まず、現地の様子は、私たちが日本で考えていた以上に厳しいものでした。ベツレヘムの「アイーダ難民キャンプ」は、2つの入植地、分離壁、7つの監視塔とイスラエル軍の前哨地に囲まれています。今回は訪問できませんでしたが、ガザ地区の状況はさらに厳しいことを想像するのは容易です。
第2に、日常的に感じる「違和感」の存在です。行く先々に銃を持った兵士が立ち、電柱には監視カメラが備え付けられています。あちこちに検問所があり、イスラエル兵がパレスチナ人に非人道的な行為を行っているさまも目にしました。目的地によって、イスラエル人とパレスチナ人が乗るバスが異なります。同じ場所にいても、イスラエル/パレスチナ人が交わることは少なく、さながら「パラレルワールド」にいるかのようでした。
第3に、こうしたパレスチナへの占領の実態は、知識と想像力を働かせてこそ見えてくることです。
最後に、特に意識しなければ、厳しい実態を見逃してしまうという現実に対して感じた「無力感」や「ふがいなさ」です。
――武智さんご自身は、どのようなことを感じましたか。
武智 目の前に広がる現実が厳しいだけに、どうしても物事を近視眼的に考えてしまう自分に気付かされました。一方で、先輩方やイスラエル/パレスチナ学生の話を聞くたび、歴史の重みを持った空気感と自分の思考の落差にめまいがする思いでした。
そうしたなかでも、「占領反対」を訴えてデモ行進するイスラエル人の団体や、イスラエルとの平和共存を模索するパレスチナ人にも出会うことができました。かれらの多くが「多民族・多宗教が共存する単一のパレスチナ国家」を目指していることに励まされました。
帰国後も「現実を知ったとして、何になるのだろうか」「自分には何ができるだろうか」という問いを、毎日のように繰り返しています。
――友人関係でトラブルがあったそうですね。
武智 はい。イスラエル入国直後、到着したことをインスタグラムに投稿したところ、エジプト人留学生の友人からブロックされてしまいました。
帰国後、自作のスライドをその友人に見てもらい、自分の思いを一生懸命に話しました。説明の後、彼女が教えてくれたのは、彼女自身がパレスチナ難民であったことです。
それに衝撃を受けたことはもちろんですが、そのことに想像が至らなかった自分自身が恥ずかしくなりました。私が彼女に約束できることは、考えることをやめず、現地に目を向け続けることだと思いました。
――ツアーに参加したことで、現地が身近に感じられるようになったわけですね。ところで昨年10月以来、各地でパレスチナでの平和を求める学生などの行動が起こっています。
武智 帰国後、「アイーダ難民キャンプ」で私たちのガイドをしてくれたアナスさんが行方不明になったことを知りました。その後、イスラエル軍に行政拘束(罪状や拘禁場所が不明なままの逮捕)されていることが分かりました。生きていたことにひとまず安堵(あんど)する半面、暴行に遭う可能性や適正な裁判が行われるかどうかなど、心配です。
日本でのさまざまな行動についてですが、会議の有志が集会やデモに参加しています。パレスチナ問題に対する解決策に関してはさまざまな意見があるとは思いますが、せめて「停戦」を願う点では、多くの人が一致できると思います。
――ありがとうございました。24年度の活動にも期待しています。
(注)
嘆きの壁 ヘロデ大王時代の紀元前20年に築かれたエルサレム神殿の外壁。高さは、地中部分を含めて約30メートル。ユダヤ教で最も神聖な建物とされる。
聖墳墓教会 キリストの墓とされる場所に、ローマ皇帝・コンスタンティヌス1世の命令で建てられた教会。キリストが処刑されたゴルゴタの丘はこの場所にあったとされる。現在の建物は11世紀以降に再建された。
ベングリオン・ハウス イスラエル初代首相ダビド・ベングリオンが住んでいた家。
日本・イスラエル・パレスチナ学生会議
Copyright(C) Japan Labor Party 1996-2024 |
|