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労働新聞 2023年12月5日号 8面・通信・投稿

日中の学生が広い分野で討論
「体当たりの国際交流」で友好を

日中学生会議第43期委員長・
山本英昂さん(東京大学2年)

――日中学生会議の歴史や活動内容について、教えてください。

山本 日中学生会議は1986年、日中関係に関心のある東京大学生を中心に結成され、翌年に中国・北京で第1回本会議が開かれました。今夏に第42期の交流が行われ、今秋から第43期が発足しています。
 日中学生会議の理念は、「日中友好へ、学生の挑戦」です。「日中友好」とは、日中が互いの国、国民に好印象を抱いていることで、交流が活発なことを意味しています。また、日中両国が国際社会で協力し合うことでもあります。「学生の挑戦」とは、未来の可能性をもつ、学生レベルで積極的、情熱的な取り組みを行うことです。

――第42期では、どのような交流が行われたのですか。

山本 第42期の理念は、「『清新』〜対話で紡ぐ次なる関係〜」でした。
 2022年は、日中国交正常化50周年という節目の年でした。そのため、日中関係の未来を実現するための第一歩として、日中学生会議を活用したいと考えました。残念ながら、日中関係は停滞しているように思えましたので日中関係において新たな一歩を踏み出す挑戦をしたいという思いから、新鮮で生き生きとしているという意味を持つ「清新」を主スローガンとしました。
 日中学生の対話や議論を通して、新しい関係づくりに貢献したいという思いからです。
 会議は、中国・珠海市(広東省)、香港、日本さらにオンラインで開催しました。
 会議では、5つの分科会をつくりました。社会科学、ジェンダー、食文化、教育、エンタメです。
 社会科学分科会では、中国の地域格差を解決するための政策について議論しました。中国の東北振興策や、西部大開発が題材になっています。
 ジェンダー分科会では、フェミニズムを中心に、両国にある政治・経済上の男女均等の程度、ジェンダーバイアスなどを話し合い、「30年後の未来」を考察しました。
 食文化分科会では、日中両国における食品に対する意識や、増えているという「孤食」(一人でとる食事)についてどう考えるかなど、幅広く議論しました。
 教育分科会では、両国の「教育格差」をテーマに、それを是正する意義や改善すべき点について討議しています。
 結構、ガチ(真剣)にやっていますので、詳細は、学生会議のサイトでお読みいただければと思います。

――第42期の詳細は、どのようなものですか。

山本 先日、第42期全体の理念が「山川異域 風月同天〜良き隣人であるために〜」に決定しました。この言葉は約1300年前、日本の長屋王(※)が中国の唐王朝に送ったもので、「住むところは異なるが、同じ風や月の下で生きている」という意味です。新型コロナウイルスの感染が中国で流行した際、日本からの支援物資にも記され、両国の絆を象徴する言葉として時代を超えて再び話題となりました。古くから続く日本と中国の縁を受け継ぎ、隣国として良い関係を維持したいという希望のもと、このスローガンを選びました。日本と中国の関係にふさわしい言葉だと思い、使うことにしました。
 現在は、第43期の分科会のテーマについて詰めているところです。

――準備は、どのように進めるのですか。

山本 3月から4月にかけて、その年のメンバーを公募します。希望者は小論文を提出し、グループディスカッションを経て、面接で参加者を選考します。例年6月に顔合わせの合宿を行います。本会議は、8月に3〜4週間の日程です。会議は基本的に、1年おきに日本と中国で行いますが、第 期は事情により、香港でも行いました。
 分科会は、それぞれに日中双方から1人のリーダーを選び、さらに双方5人前後が参加します。  参加者ですが、日本に留学している中国人学生が中国側で、逆に、中国に留学している日本人学生が日本側で参加することがあります。まれに、オーストラリアなど第三国に留学している学生が参加することもあります。
 全体の参加者は、日中双方で約30人ずつです。

――山本さんご自身が、日中学生会議に参加したきっかけは何でしょうか。

山本 私が中国に関心を持ったのは、中学生時に北京に滞在したことが契機です。それ以前、カナダに滞在したこともあるのですが、はるかに居心地良く感じました。  随行してくれた男性と話す機会が多かったのですが、心情的にも「通じる」部分が多く、日本と中国は「相性が良い」と感じました。近年の中国は経済発展を遂げているため、都市部の様子は「日本と変わらない」とも思いました。
 私は工学部生なのですが、実は、古典を愛好しています。
 「源氏物語」などの文学作品を読んでも、作者の紫式部が漢文や中国文化への造詣が深いことが理解できます。日本の伝統芸能も、中国の影響抜きには考えられません。主従の関係で見る必要はありませんが、こうした客観的事実を軽視することはできないと思うのです。
 それが明治維新後、「西欧化」ということで、2000年近い中国との関係は顧みられなくなりました。日清戦争を経て、中国に対する差別感情も拡大しました。  このような日本側の感情は、先人の努力を顧みないもので、賛同できません。

――最後に、日中関係がどうあるべきか、お考えを聞かせてください。

山本 政府間の話し合いで「関係が良くなった」と思うことがある半面、逆の動きもあります。最近では、福島第一原子力発電所からの「処理水」問題があろうかと思います。
 結局は「政治の問題」であることは理解していますが、それに揺さぶられない両国関係が必要だと考えています。
 そのためには、政府や企業間にとどまらない「民間交流」の活性化が必要だと思います。極端な話ですが、両国のバックパッカーが簡単に往来できる、そんな状況が望ましいのではないでしょうか。
 日中学生会議が、そのための一助になりたいと願って、今年の会議を準備しています。

――ありがとうございました。第43期会議の成功を願っています。

※長屋王
 奈良時代の政治家。天武天皇の孫で、聖武天皇在位時に左大臣を務めたが、「藤原4兄弟」と対立して自害に追い込まれた。1980年代に邸宅跡が発掘され、膨大な資料が発見されている。

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