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労働新聞 2022年2月25日号 5面・通信・投稿

『ぜんぶ運命だったんかい』を読んで(3)

北欧の女性も権利勝ち取った

大阪府・小池 日向子

 笛美さんは疑問を抱きます。ずっと生き辛さを日本のせいにばかりしてきたけれど、本当に日本のせいなのか。当時の安倍政権が掲げたスローガンに「女性が輝く」という言葉がありました。実際、女性労働者の(非正規かどうかはさておき)雇用機会は増え、男並みに働く機会は与えられましたが、家事・育児・介護などのケアを担う課題に手をつけなかったため、家の外でも中でも女性は働き詰めになり、女性が輝くはずの政策で当の女性はボロボロになったのが実情です。
 女性だけではありません。男性も総合職の働き方によって過労による自殺や家庭崩壊などの深刻なリスクを抱えていました。「男は外で働き、女は家庭を守る」という性別役割分担は、男性にも女性にも大きな負担を与えながら、時代が変わっても働き方が変わっても温存され、人びとの心に生き続けています。
 「ぜんぶ運命だったんかい」。笛美さんは再びどこか冷静にツッコミます。なぜこの社会の構造を疑うことをせず、自分を責め、ほかの女性たちを敵視してきたのだろう…。
 一度ジェンダー格差に気付いてからは、過去のできごとが打ち上げ花火のように脳内で炸裂し、ああだったのか、そういうことだったのかと、見方が変わったといいます。
 性犯罪についても、どこにでもあることとして見過ごしてきましたが、犯罪の原因を犯人ではなく女性のせいにしていることに気付いたそうです。アダルトコンテンツがあふれる日本社会。もしかして男の人はセクシーやエロではなく、「女いじめ」が見たいのか。相手への尊重のない女性蔑視だと考えると納得できたといいます。
 「おじさん社会」のシステムがおかしい。そもそも優遇されている男性さえ社畜にされ人間扱いされない国で女性が人間扱いされるわけがない。「家父長制」「女性蔑視」、それはガンみたいなもの。「ガンを憎んで人を憎まず」。早期発見して治さなければならない。笛美さんは、非常に重要なことを指摘されていると思いました。
 男性が女性を差別していて、それはよくない…そんな単純な図では説明がつきません。女性は戦前から安価で簡単に使い捨てできる労働者として利用されてきました。戦中こそ男性に代わって労働者の主力となりましたが、戦後は男性中心の雇用システムの下で女性はあくまで補助的労働力として使い捨てにし、女性は結婚して男性に養われて暮らすことを幸せモデルとして、それこそ広告や宣伝媒体でさんざん洗脳のシャワーを浴びせてきました。そしてそのモデルとして登場した多くは米国の中産階級でした。衣食住、映画、娯楽、などさまざまな場面でライフスタイルの憧れのモデルとして米国の生活様式が日本人の脳裏に深く落とし込まれました。
 男性が女性を蔑視しているのだとしたら、それは誰が何のためにそう仕向けたのか…常にそれを頭に置きながらさまざまな現象について考える必要があると思います。すなわち、明治以降も日本社会に残った家父長制的システムも、根強い女性蔑視も、人がオギャーと生まれたその時から遺伝子にインプットされているのではありません。生きていく過程で骨身に浸み込まされてきたことだと思います。戦後日本が米国の支配を受けながら日本の政治経済システムを資本家にとって潤滑に機能させるためにそれは不可欠だったからだと思います。
 活動家に語り継がれる真理に「労働者の解放なくして女性の解放なし」というものがあります。私たちは理不尽に出くわした時、「男とは」「女とは」「子どもとは」「労働者とは」そういうものだからと流れに身を任せるのではなく、誰がなぜ、何のためにその価値観を押し付けているのか問い続け、時は声に出して話し合ったり感情をだしたりする必要があるのではないでしょうか。そうすることが、笛美さんのいう「ガンを憎んで人を憎まず」、つまり早期発見して治すプロセスにつながる希望になると思います。
 F国も、始めから男女平等だったわけではありません。一九七〇年代に女性運動が起こり、闘いによって権利を勝ち取ってきました。またジェンダーギャップ指数が世界一低いというアイスランドでは七五年に成人女性の九割が仕事も家事もストップさせる大規模なストライキを行い、権利を勝ち取ってきました。
 ここで私が知りたいと思ったのは、七〇年代にF国やアイスランドで運動を指揮した政治組織があったに違いないということです。不平不満を抱えて勢いでデモに参加する人もいると思いますが、それは花火のように打ち上がり、次第に小さくなって消えていくことが往々にしてあります。権利を勝ち取るまでに至った運動の組織者がそこには必ずいたはずです。
 日本での社会的な運動について、笛美さんは昔少し学校で習ったと記憶しています。しかし歴史を学んできたつもりの笛美さんも自分の辛さとは結び付けられていませんでした。
 私も、自分らしく生きていきたいと声を上げてみて初めて、親や姉妹の反対に遭い、私が日本で女性として生きる上での幸せを想う親姉妹からたくさんのブレーキをかけられました(この話は長くなるので、機会があればまたどこかで)。自分がいかに家父長的家風の中で生きてきたのか、その考えが心に根付いていたのか、疑問に思ってみて初めて気が付くことになりました。  (続く)


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