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労働新聞 2022年2月15日号 6面・通信・投稿

石原慎太郎評価に関して(上)

コロナ禍での医療崩壊の元凶

東京・菅谷 琢磨

 作家の石原慎太郎元東京都知事が二月一日に死去しました。石原の死去に際し、彼が行ってきた差別扇動の重大さ・罪深さについては、既に多くの人がさまざまな媒体で言及しているので、ここでは割愛します。一方、各種マスメディアは、盛んに彼の経歴を紹介するなかで、差別発言への批判はあっても、政策上の批判はほぼ行っていません。なかには同じ政策をめぐっても私とはまったく逆の評価をしている場合もあり、戸惑いを通り越して邪悪な意図さえ感じます。
 石原都政に対する正しい評価は今後の都政を考える上で必要です。ここでは現在に通じる四点にのみしぼって彼の政策批判をします。今回はうち二点についてふれ、次号で残りについて記します。

合理化を先頭に立ち強行
 石原都政の罪状の最初に挙げたいのが、米国と大企業の利益のために積み上がった都財政の赤字を人員削減とサービス低下で「解決」したことです。
 コロナ禍により日本全体の医療体制がぜい弱であることが暴露されました。感染症治療の基幹は公的医療・国公立病院であり、公務員人員削減と民営化が医療崩壊の原因です。
 一九九〇年代半ばから「地方財政の悪化」を名目に自治体行革が強化され、警察関係を除いて広く人員削減と賃下げ・民間委託が進められました。石原はそれを全国の先陣を切り強力に推進しました。
 そもそも、地方財政の悪化の主因は日米構造協議による総額六百三十兆円の公共投資です。しかしその多くは地方自治体に押し付けられ、自治体は借金漬けとなりました。都の場合、鈴木・青島都政の下で始まった新都庁建設などの箱モノ、臨海部開発などによって巨大な財政赤字を積み上げ、都債残高は年間予算を超える八兆円弱に達しました。これは石原都政に引き継がれました。
 石原都政一期目の副知事を務めた青山氏は「石原都政の一期目は特に東京の都市構造を大きく変える時で、石原知事は時代の流れをよく読んでいたと思う。その意味で石原知事は天才政治家だと思う」という旨の評価をしています。
 これは日本の対外経済構造が変化し始めたことを指しているのでしょう。二〇〇〇年頃から所得収支の黒字が拡大し〇〇年代半ば以降は経常収支黒字の主因となっていきました。東京はその司令部としての役割を果たすことが求められていました(国際ビジネスのための都市整備)。そうした「時代の流れ」を見る「天才」であったのでしょう。
 このような国や財界の要求に応えるためには財政再建が急務であり、その実現のために「ジャマ」となる労働組合を弱体化させる必要がありました。だから人員削減(特に労働運動の中心である現業)を推進したのです。「行政の無駄」をなくすためではありません。
 これらは言い換えれば、巨大赤字の根本原因は政府の対米従属と開発大企業への利益供与なのに、その処理は公益事業の民営化を伴う人員削減と職員賃金の引き下げ、そして都民大多数への犠牲のしわ寄せされたということです。ご存じのように、公務員賃金が下がればこれを基準とする民間賃金も下げらます。日本は先進国で最低の賃金水準といわれる原因の一つはこれです。
 人員削減・民営化による医療現場の打撃が大きく、コロナ禍以前から必要な医療サービスが提供できなくなっていました。しかも小池都政はこれに追い打ちをかけるように、昨年の都立病院独法化で経営からも撤退しました。
 結果、石原都政の登場はその二年後に成立した小泉政権の改革政治の露払いの役目を果たしました。小泉政権は「財政再建」「小さな政府」を掲げ、郵政民営化に代表される「官から民へ」を推し進めましたが、石原はその先例で、その悪影響は東京のみならず全国に及ぶこととなりました。

自己責任論広めた張本人
 次に、石原は「自助・共助・公助」「自己責任論」などという悪しき風潮を広めた張本人であることを指摘いたします。
 現在の東京都の震災に関する基本対策は、石原都政の下で二〇〇〇年に制定された「東京都震災対策条例」(以下「石原条例」)です。石原条例は、美濃部都政時代の一九七一年に制定された「東京都震災予防条例」(以下「美濃部条例」)を廃止し全面的に書き換えたものです。廃止された美濃部条例はその前文で次のように述べています。
 「東京は、都市の安全性を欠いたまま都市形成が行なわれたため、その都市構造は地震災害等に対するもろさを内包している。(中略)いうまでもなく、地震は自然現象であるが、地震による災害の多くは人災であるといえる。したがって、人間の英知と技術と努力により、地震による災害を未然に防止し、被害を最小限にくいとめることができるはずである」と。東京の危険性と、地震による災害の多くは人災であることに正面から向き合っています。
 一方、石原条例はその前文で、都民の自助、共助を第一に掲げ、「公助の役割を果たす行政とが、それぞれの責務と役割を明らかにした上で、連携を図っていくことが欠かせない」として、「自己責任第一」の姿勢を明確に打ち出しています。街づくり次第で地震は人災になり得るという認識はなく、都民の安全は自己責任とし、ひたすらに首都機能を守ることを繰り返し強調していることが特徴です。
 東京に大地震が起これば東日本大震災や阪神・淡路大震災の被害を上回る犠牲が出るといわれる理由は、首都・東京のとりわけ二十三区の過密さにあります。石原都政とそれ以降の都政は「世界都市東京」をめざしてヒト・モノ・カネを多国籍大企業のために東京に集めてきました。東京の過密化は加速し、その政策は限界を迎えています。
 なお、〇四年にイラクでジャーナリストなどが拉致された事件に対し、「自己責任論」という批判が政府及びマスコミから盛んに出されましたが、人質となった安田順平さんらに「自己責任」と最初に言ったのは当時環境相の小池百合子現都知事とのことです。これこそが現在の「自助」に通じる考え方であり、こんにちのコロナ禍において弱者を見捨てる政策につながるものです。石原はそれに先んじてこの悪しき風潮をまき散らかした人間です。
 また、二〇年に菅政権が発足した時に「自助、共助、公助」というスローガンが掲げられたことは記憶に新しいでしょう。行政トップとしての使い手としてその源流が石原にあることに説明の必要はないでしょう。
 くしくも石原が死んだ翌日、都は今年一月一日時点の推計人口が昨年同期から約五万人減ったと発表しました。都の人口が減少したのは二十六年ぶりだそうですが、この傾向は今後も続くとの見方で専門家は一致しています。この主な原因は、都の政策が変更されたわけではなく、残念ながら東京一極集中に反対する運動が功を奏したわけでもなく、コロナ過でテレワークが進んだ影響です。ある意味で石原的都市政策がここに破綻したという知らせのようにも聞こえました。新しい都政をつくる契機としなければなりません。(続く)


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