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労働新聞 2021年12月15日号 6面・通信・投稿

医師の追悼行事に参加して

中村哲氏の志は生き続ける

福岡県・沢口 靖雄

 アフガニスタンで人道支援活動を続けていた中村哲医師が現地で凶弾に倒れて二年目にあたる十二月四日とその翌日、彼をしのびその志に学ぶための追悼行事が、医師が日本での生活拠点としていた福岡県大牟田市で開催されました。事前に新聞の地方版で紹介されたので、昨年に続き私も参加しました。
 会場となった民間文化施設には、医師の活動を支えてきた「ペシャワール会」から提供された百数十点に及ぶ写真や関連書籍、新聞記事などの資料が常設展示されています。その常設展示会場で、これまでにペシャワール会が制作したDVD作品が順次上映され、別会場で最新作の「荒野に希望の灯をともす」が上映されました。また両日の夕刻には医師を偲ぶ竹の灯篭(とうろう)が点灯されるという三部構成でした。
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 「荒野に希望の灯をともす」は、日本電波ニュース社が中村医師の三十五年に渡る現地での活動を記録してきた一千時間に及ぶ映像記録と医師が遺した文章をもとに構成されているという解説がありました。
 さまざまな試行錯誤を経てマルワリード用水路が開拓され「死の谷」と恐れられたガンベリ砂漠が緑の沃地に変わるさまは本当に感動的でしたが、とりわけ私の心に残っているシーンがあります。それは診療所を開くために地元の長老たちと話し合う場面です。長老の一人が「気まぐれに私たちを助け、すぐにいなくなるのではありませんか」と問い詰めると、医師は「私が死んでも診療所は続けられます」と答えます。話し合いが終わって退席する長老たちをやさしく見送る姿も残されていて、医師が地元の人たちの気持ちをいかに大切にしていたかということが伝わってきました。
 上映の後、福岡のペシャワール会事務局からの報告がありました。現在アフガニスタンでは中村医師が「緑の大地計画」を始めた二〇〇〇年の大干ばつを上回る最悪の状況が続いており、四千万の人口のうち、深刻な食料不足にある人たちが二千二百八十万人、その中でも餓死線上といわれる人が八百七十万人に達するという国際機関の報告があるそうです。
 そのうえ、八月にタリバンが政権を確立して以降、米国などの先進国が経済封鎖を行ったため銀行取引が事実上停止されており、市民生活に深刻な打撃を与えているということでした。ペシャワール会からの支援の資金も送ることができず、現地の職員の給料の支払いも滞る状況に置かれているそうです。その中で現地の人たちは、自分たちの給料は後回しにして、医療活動や水路事業を継続しているということでした。
 国民の半数が飢餓線上にある国に対し経済封鎖を行う…これが「自由と民主主義」の国の所業なのでしょうか。米国によその国の人権がどうのなどという資格はないのではないか、そう怒りを覚えたのは私一人ではなかったと思います。
 四日の夕刻、会場周辺に設置された竹灯篭に火を灯す、点灯式が行われました。中村医師の長女である秋子さんが「私も父のように、貧困や飢餓を遠い国のこととして感じるのではなく、自分のこととして行動していきたい」とあいさつしました。大牟田市長のあいさつの後、秋子さんが最初に点火し、続いて参加者がそれぞれの思いを込めて約二百本の竹灯篭に点火しました。また二カ所に設置された、「天、共に在り」「一隅を照らす」「用水路が運ぶ恵みと平和」などと孟宗竹に刻まれた「オブジェ灯篭」のLEDランプも点灯され、淡い光を放っていました。
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 翌朝、地元の民間放送が短い時間でしたがこの追悼行事のことを報道しました。その中で、タリバンの指導部が現地の水路事業を視察して「驚いた。こんな仕事が広がっていたらこの国はもっとよくなっていた」と大いに評価し、「この事業を支援します。中村医師は国民の心に生き続けています」と語ったことを伝えていました。
 これまで日本のマスコミのタリバンに関する報道は、「女性の人権を抑圧している」「文化を抑圧する」「中村医師の肖像画を消した」などと、「極悪非道のタリバン」という基調でしたが、中村医師は死してもマスコミの論調を動かしているのかと、一人感じた次第でした。


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