ホーム党の主張(社説など)/党の姿サイトマップ

労働新聞 2021年8月25日号 6面・通信・投稿

沖国大米軍ヘリ墜落事件から17年

子ども守れるのか、親として不安

沖縄県・大城 愛

 私は沖縄県宜野湾市で子ども時代を過ごした者です。今は嘉手納町で幼い子ども二人の子育て真っ最中です。
 二〇〇四年八月十三日、宜野湾市にある米軍普天間基地所属のヘリコプターが、同じく市内にある沖縄国際大学に墜落・炎上する事件が起きました。夏休み中だったため奇跡的に死者は出ませんでしたが、一歩間違えば多数の犠牲者を出す大惨事となった事件でした。
 事件から今年で十七年目です。これまで毎年、大学内で集会が開かれてきましたが、今年はコロナ禍のためオンライン集会となり、子育て中の私も参加しました。
 学長や学生たちの声明を紹介し、私が感じたことをお伝えします。
   *  *  *
 集会の冒頭、前津榮健学長は「われわれはこんにち、ヘリコプター墜落事件に対する憤りの記憶をあらためて鮮明に呼び覚まし、受け継ぐべきだ」とした上で、いまだ米軍絡みの事件事故が頻発している現状を「むしろ悪化している」と危機感を示しました。そして「危険この上ない普天間基地を即時閉鎖し、撤去すること」を日米両政府に強く要求しました。
 続いて、学生の意見発表も動画配信されました。
 総合文化学部二年の石川舞さんは、友人がヘリ墜落当時二歳で、大学周辺の保育所に預けられていたことを知り、「墜落場所がほんの少しずれていたら被害に遭っていたかもしれない。事件が日常と隣り合わせであることにあらためて恐怖を覚えました」と述べました。そして、基地がある限り危険が払拭されることはないとし、八月十三日が基地問題について今一度考える日となること、住民が安心して生活を送れる日が来ることを願っていると話しました。
 二人目の学生は、当時四歳だったという、同学部四年の比嘉夏香さん。墜落当日、六歳の姉と父は大学周辺を散歩中、ヘリ墜落を目撃し、一目散に帰宅。二人ともとても混乱した様子だったことや、テレビニュースを見た母が震えながらぼう然と立ち尽くす姿を今も覚えていると、自身の体験を語りました。比嘉さんは、高校生の頃は沖縄戦を学び語り継ぐ活動をし、大学入学後はさまざまな平和活動を実践したそうです。その経験から「戦争は決して過去のことではなく敗戦は現在に続く生きた歴史であること、そして今の沖縄と日本に何が起きているのかを私たち自身で見て考え続けていかなければならない」と訴えていました。
   *  *  *
 ヘリ墜落当時、私は県外に住んでいたのですが、電話してきた母がとてもおびえ興奮していたことが強く印象に残っています。
 その後、十数年ぶりに沖縄に帰郷・結婚し、今は嘉手納基地の近くに住んでいます。自宅の上空を戦闘機が低空で飛び交い、日々ワジワジー(怒って)しています。まだ幼い子どもたちは爆音の度に泣きながら私にしがみついてきます。「ママがついているから大丈夫だよ」と抱きしめるのですが、そうしつつも私の心が問い掛けてくるのです。「本当に大丈夫と言えるのか、本当にこんな沖縄で子どもたちを守れるのか」と。
 また、一九九五年には少女暴行事件が、二〇一六年には女性殺害事件が、そして今年七月には強制性交未遂事件と、米兵による犯罪・悲惨な被害も後を絶ちません。
 特に最近危険を感じるのは、「中国の脅威」や「台湾有事の危機」を語る日米政府やマスコミです。万が一の時、米軍基地のある沖縄が巻き込まれてしまうのではと不安が募ります。
 この大切な時期に、自分に何ができるか。周りの人とよく話し合いながら、模索していきたいと思います。


Copyright(C) Japan Labor Party 1996-2021