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労働新聞 2021年7月5日号 6面・通信・投稿

国・東電説明うのみは危険

福島原発「処理水」とは

佐賀県・坂口 啓二

 少し前になりますが、政府は四月十三日、福島第一原発に貯留されている汚染水を二年後をめどに海洋放出するための準備を開始すると閣議決定しました。
 復興庁はその日、「ALPS(多核種除去設備、アルプス)処理水について知ってほしい三つのこと」というチラシと動画をホームページにアップしました。当初この動画には、放射性三重水素トリチウムが「無害」だと強調したかったのでしょう、ゆるキャラ風の「トリチウムくん」を登場させていたのですが、「人をバカにしている」という批判が殺到しました。しかし事の本質はそんなところにあるのではありません。ただあまりに評判が悪かったためでしょうか、復興庁は「当該チラシ及び動画の公開をいったん休止します」と声明し、そのまま現在に至っています。
 この動画ですが、冒頭こういう台詞から始まります。「誤った情報に惑わされないために、誤った情報を広めて苦しむ人を出さないために」と。すごい脅しです。ありていに言えばこういうことです。「処理水のことを汚染水などと言って、ありもしない環境や健康へのリスクを主張する輩がいますが、そんなウソに惑わされてはいけません。ウソを真に受けて広めると、漁民をはじめ福島の人たちを風評被害で苦しめることになりますよ」。
 国は「原発は安全です。特に日本の原発は大きな事故を起こすことはありません」という誤った情報を発信し続けました。原発の過酷事故によって多くの助かるべき命が失われ、生きる目標を見失って自ら命を絶つ人たちを生み出し、今なお多くの人たちが故郷を追われ避難生活を送っています。この苦しみを与えたのは誰だったのでしょうか。
 この動画やチラシが言う「三つのこと」は次のことです。(1)トリチウムは身の回りにたくさんある、(2)トリチウムの健康への影響は心配ない、(3)取り除けるものは徹底的に取り除き大幅に薄めてから海に流す、ということです。
 つまり「処理水」はアルプスによって放射性物質を徹底的に取り除いている。取り除けない核種はトリチウムだけだが、それは水道水にも含まれるなど身の回りにたくさん存在しており、放射線を放出するけれども健康にはまったく影響を与えない。こういう理屈の組み立てになっています。事実の一部分だけを切り取って、科学の装いの下に自分に都合のいい結論に導くというのは、とりわけ原子力や放射能に関して政府がとり続けてきた態度ですが、この動画もまたまったく同じ手法です。
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 あの「処理水」の中にはトリチウムだけがあるのではありません。もともとアルプスは不完全な技術ですし、順調に機能しなかった時期もあるので、「処理水」の中には大量の放射性物質が存在しています。昨年三月に東電は「処理水六万五千立方メートル中のストロンチウム90濃度は規制値の百倍、一部のタンクでは二万倍に達する。タンクの水全体の七二%にあたる七十八万立方メートルは再処理する必要がある」と報告しています。再処理は再びアルプスで処理するのですから、完全除去は無理です。残された手段は大量の海水で薄めるしかありません。アルプスが除去できる放射性核種は六十二種類だと発表されており、これに含まれずスルーしてしまうのがトリチウムですが、昨年八月に東電は放射性炭素14も存在すると発表しています。
 さてこのトリチウムですが、動画では「身の回りはもちろん、私たちの体の中にも存在する」と言っています。上空の高い所で宇宙線などの作用によってトリチウムが形成されることはあるようですが、現在環境中に存在するトリチウムの大半は一九五〇年代以降の核実験や七〇年代以降の原子力施設からの垂れ流しによるもので、純粋に自然現象によるものは一%くらいではないかと言われています。実は汚染水より先にこのことが問題にされなければならないのです。
 さらに動画は、「体内に入ってもトリチウムは蓄積されず、排出される。放射線は弱いので皮膚も通れない」と言っています。このあたりが「事実のつまみ食い」なのです。
 水素原子の同位体であるトリチウムは、放射線を出すこと、質量が大きいこと以外は水素原子とまったく同じ性質です。酸素原子と結合して水となればそれがトリチウム水です。生物の体を形成するタンパク質、脂肪、糖そしてDNAも、すべて有機化合物ですから、たくさんの水素原子が結合しています。それがトリチウムと置き換わることはごく自然なことで、「有機結合型トリチウム」と呼ばれています。これが食物として体内に入り、あるいは体内で有機物の水素原子がトリチウムと置き換わると、体内に長く留まることになります。
 動画は「トリチウムの放射線はミリ単位しか飛ばないから大丈夫だ」と言っていますが、それは線源が体外にある場合(外部被曝)の話で、有機物として体内に留まった場合、細胞や内部のDNAにとってはごく近い距離からの放射線にさらされることになります。「原子力ムラ」の人たちはいつも、外部被曝だけを問題にして内部被曝には触れないのですが、この動画もまた同じトリックを繰り返しています。
 ただ、動画は一つだけ勇み足を犯しました。私は復興庁が動画の公開を「一旦休止」した本当の理由はここにあるとにらんでいるのですが、「トリチウムの放射線がDNAを損傷する」イラストを登場させているのです。これはかれらには不都合な事実です。もちろんこれにも配慮があって、DNAの二重らせん構造の一本だけを傷つけても修復が可能だと説明しています。それはそれなりに正しいのですが、問題は二本とも切断した場合にはDNAの修復ミスが起こることが多く、それがガンや白血病の原因になると考えられています。
 放射性炭素14についても少し触れます。これは普通の炭素の同位体で、放射線を出す一方で炭素として動きます。炭素は有機物の骨格を構成する原子です。生物の体を構成する有機化合物の骨組みに炭素14が、結合する水素原子にトリチウムが入ることを想像すると、背筋が寒くなります。動物は自分で栄養をつくれませんから、他の生物を食べて栄養を得ます。その栄養をつくるのは植物で、この反応が光合成です。光合成は水と二酸化炭素を原料にしてブドウ糖を合成します。トリチウムが結合した水、炭素14が結合した二酸化炭素から生物界の栄養の出発物が合成される可能性さえあるのです。
 しかし、たとえば私がガンや白血病を発症し、仮にその原因がトリチウムだったとしても、そのことを証明することはほとんど不可能だと言えます。
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 それでは私たちは、健康への影響を調べることはできないのでしょうか。その手段として「疫学調査」と呼ばれる統計的な手段があります。たとえば人口十万人当たり何人が白血病を発症しているか、地域ごとに統計を取り、その値が他の地域と比較して異常に大きければその原因を探ることができます。原発から放出されるトリチウムは加圧水型原発の方が多いと言われています。九州の原発は加圧水型です。玄海原発がある県内の玄海町、近くの唐津市、佐賀市、そして全国の白血病による死亡率のデータは、原発に近いほど大きくなっていることを示しています。
 復興庁の動画などに惑わされず、事実を事実として見つめる力を私たちは持たなければならないと感じています。


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