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労働新聞 2021年6月15日号 6面・通信・投稿

「にあんちゃん」と大隈議長のこと

思い継いで活動したい

ひまな ぼんぺい

 「日経新聞」で五月に連載された女優・吉行和子さんの「私の履歴書」が終わった。彼女の両親、兄の淳之介、妹の理恵のほか、いろんな演劇関係者、女優・男優など名前を知る人が登場するし、時代も僕と重なる部分があって面白く、欠かさず読んだ。
 三度も出てくるのが岸田今日子さん。僕が彼女を映画で初めて見たのは、安部公房原作の「砂の女」だ。東京オリンピックが開かれた一九六四年、高校三年の時だった。もちろん田舎の高校だから許可映画になるはずもなく、野球帽をかぶってこっそりと見たのだが、印象は強烈だった。
 だから女優としての吉行さんは岸田さんほど知らなかったのだが、一九五九年に今村昌平監督の「にあんちゃん」に出たと履歴書にあった。
 こういうのを〈暗合〉と言うようだけど、去年、友達からたまたま「にあんちゃん」のことを聞かされていたのだ。今村昌平監督の映画はほとんど見てきたはずだが、「にあんちゃん」を見たかどうか記憶はあやふやだった。そこで有料動画配信サービスで見て感動したのだが、あの保健師が吉行和子さんだったのかなと、先月もう一度見直してみた。
 映画は、兄の長門裕之、姉の松尾嘉代、それに「にあんちゃん」、作者である妹の安本末子、四人のきょうだいの記録だ。
 この映画の中ほどで、兄が仕事をなくして住むところがなくなった末子たちが住まわせてもらっていた兄の同僚・殿山泰司が怪我をして炭鉱を辞めざるを得なくなった夜、末子が寝床で次のようにつぶやく。
 「私がいちばん願っていることは、いくら豚小屋であっても、きょうだい四人がいっしょに暮らしたいことです。いつになったら四人に幸福が訪れるのでしょうか」
 この末子のつぶやきと重なるものを最近読んだ。
 「労働新聞」の四月五日号に大隈議長の訃告と略歴(入党申込書)が載った。略歴の「生い立ち」は「農村のある借家で極貧のなかに生まれた」から始まり、トタンぶき小屋で生活しながら家族全員で働き耕地を広げたこと、次兄が奉公にとられるなどして家族がいっしょに暮らせなかったこと、高利貸しや地主からの取り立て、父親の病死、次兄の戦死、米軍の不発弾爆発で弟が重傷を負ったことなどについて記され、「貧富の差のない社会、親きょうだいが近くにそれぞれ住んで、助け合い、行き来でき、幸せに暮らせるような社会が理想であった。共産主義者になる直前は、技術で身を立て、そうした社会のために貢献したいと願っていた」と結ばれている。
 その後、議長は共産主義者となって労働党を建設し、亡くなる九十一歳まで闘い続けられた。その飽くなき活動力の源泉には、生まれ持った性格もあったと思うが、家族いっしょに暮らしたいというささやかな願いさえ許さない貧困と不条理を生む社会への深い怨恨(えんこん)があったのだろうと、改めて思いをはせた。常に新しいことに強い関心を抱き、将来に目を向け続けていた議長だが、時に自らの過去を思い出し、なにくそと自らを奮い立たせておられたのではかないか。
 議長の思いを継いで活動しようと思っている。僕も似たような貧しさの経験をしている。この思いは忘れないようにしたい。


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