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労働新聞 2021年4月15日号 8面・通信・投稿

熊本地震から5年に思う

「新阿蘇大橋」を眺めながら

熊本市 松本 健一

 穏やかな晴天の一日、完成したばかりの「新阿蘇大橋」を見に行った。熊本市内から阿蘇へのルートは、北側にできたバイパスで大幅に時間が短くなった。さらにもう一本、国道五十七号線も以前より拡幅して開通した。新阿蘇大橋の再建で南阿蘇に早くて便利に行けるようになった。
 阿蘇までの沿道にはクスの若葉がみずみずしく光り、ツツジやハナミズキも咲きそろっている。広々とした畑には麦が穂を出して青々と育ち、遠くには山々が青と緑の重なりをつくっている。人と自然がつくり出した生き生きとした景色が続く。
 今年で熊本震災から五年になる。四月十四日と十六日の二度にわたる激震で阿蘇大橋は崩落した。地震からの復興の象徴の一つである新阿蘇大橋が完成したのはこの三月七日。元の橋の少し下流に、二倍の長さで、谷底から百メートルの高さに、地震にも耐えられる最新の工法で造られたという。
 橋を渡りきったところにある展望所から眺めると橋の巨大さにびっくりする。こうした建造物を見ていつも感じるのは、人間の技術と力がとんでもなくすごいということ。もちろん私には知識も技術もないだけに、これを造り上げた人の働きに頭が下がる。
 地元紙のアンケートによると、地震からの復興を感じているという人が八割になるらしい。石垣が崩れ天守閣の瓦が落ちて無残な姿になった熊本城も、天守閣の観覧が始まった。被害が集中した地域でも新築の家が目立ち復興は進んでいるようだ。
 ただ、県内ではいまだに仮設住宅に百五十世帯、四百十八人が暮らしている。地震の震源だった益城町では、区画整理待ちや自宅再建のめどがたたない人が木山仮設団地に集約されて、二百七十六人が生活している。新たに作られた復興住宅でも高齢者や一人暮らしが多く、コミュニティの再建や孤独死の防止など、さまざまな問題を抱えている。またこの五年間で地震によって倒産した企業は毎年十件以上に及び、これまでで六十二件となっている。
 明るい話題の裏で、取り残された人、いっそうの負担と苦しみを背負った人が多数いることを忘れるわけにはいかない。自宅再建で組んだローンを「八十歳過ぎまで働かないと返済できない」「ローンが残っているので体調を崩すのが不安」などの声はコロナ禍でいっそう切実だ。被災した半数以上の人が生活に不安を抱えているという。
 くり返される災害に備えことが本当に問われている。昨年七月の熊本豪雨では、死者・不明者六十七人を出し、今も二千戸、四千人が仮の住まいで生活している。川辺川ダム建設中止以降、治水対策はどうして進まなかったのか。十分な反省もなく、今度は流水型ダムの建設が進められようとしている。台風や豪雨、地震などの自然災害はこれからもより頻繁にやってくることは確実なのに、今の日本の政治にその備えを期待することは、どう考えてもできそうもない。コロナをめぐる対応を見てもよく分かる。
 四月九日付の「日経新聞」のコラム「大機小機」に、ワクチン、デジタル、原発、脱炭素、ジェンダー、財政、政治、行政など、日本は「いつの間に後進国になったのか」と嘆いている記事が載った。だいたい当たっているが、これが今の日本国民の、経営者なども含めてほとんどの人が感じていることだろう。それほどに日本の政治はひどい。
 今の日本の政治家に足りないのはいったい何だろうか。
 心地よい谷風に吹かれつつ、巨大な新阿蘇大橋を見上げながら考える。素晴らしい技術や力、英知は世間に満ちているではないか。人間に知恵や力がないのではなく、目先や身内のことしか考えない政治家ではどうにもならない。国のことを真剣に考え、将来にとって最も肝心なことをつかんで実行できる政治家でなければ、難局を乗り切るのは難しい。
 かつて、関東大震災の直後に、東洋経済新報社の石橋湛山は「この経験を生かすことができれば、禍を転じて福となす道は多い」と言い、その方法は「経験を科学化することに尽きる。なぜなら、すべての経験はそれを科学化してのみ、その意味を正確に理解し、将来に利用できる形として保存できるからである」と書いた。湛山はのちに政界にも進み、戦争への道に抵抗した政治家としても知られる。
 保守・革新を問わず、気概のある政治家であれば、やれないことはない。国を思う、本当に国民を思う者だけが道を切り開ける。


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