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労働新聞 2021年3月25日号 7面・通信・投稿

コロナ感染者の天国と地獄

改革政治の弊害あらわ

東京・前原 純一郎

 新型コロナウイルス感染症の感染拡大が止まりせん。昨年、政府から二度目の緊急事態宣言が発出されると報道された頃に、仕事も活動も熱心に取り組む東京都に住む先輩から「発熱した」と連絡があり、嫌な予感が頭をよぎりました。その数日後、「これからPCR検査を受ける」と、しばらくすると「コロナ陽性です。病院から保健所に連絡するから後は保健所の指示に従うように言われた」と、メールがありました。嫌な予感が当たってしまった瞬間でした。  全国的な感染拡大の下で医療機関の逼迫(ひっぱく)が懸念されるなか、感染者が入院できず自宅待機中に亡くなられるという悲惨な報道が相次ぎました。国会では菅総理が自宅待機中に容態が急変して死亡した事案に「責任者として申し訳ない」など、医療提供体制の不備を認めた答弁が行われていたころでした。
 そうは言っても先輩は大丈夫だろうと高をくくっていたところ、「人工呼吸器を装着して意識不明の重体」という連絡がありました。まさか先輩の命が危うくなっていたとも知らずに「医療体制逼迫」「自宅療養中死亡」の報道を人ごとのように聞いていた自分が情けなくなりました。
 後で聞いた話では、PCR検査で陽性と分かった日に保健所からホテル療養になると言われ、身支度をして準備していた翌日、「あなたは持病もあり入院にします」と電話があり、安心して連絡を待っていたそうです。しかし、入院の連絡どころか安否確認の電話すらないまま数日が過ぎ、胸に痛みを感じて自ら救急車を呼んだそうです。ようやく入院ができたもののコロナの病状が進行しており、入院の翌日に人工呼吸器装着となり意識不明が続いたため、身内にはとても危ない状態で意識が戻らない可能性もあると伝えられていました。救急車を呼ぶのが半日遅れていたら自宅で死亡していただろうと聞き、恐ろしくなりました。
 入院手配が間に合わず自宅で亡くなった方、自宅療養中に急変して亡くなった方は、全国で二〇二〇年三月〜二一年一月までの間に百九十七人(一月二十日現在)で、そのうち昨年十二月に五十六人、今年一月に七十五人が自宅で亡くなられていると警視庁が発表していますが、これは氷山の一角かもしれません。冬に感染が増えることは予想されており、救えたはずの命を思うと、とても「申し訳ない」で済まされることではなく、政府・自治体の責任は重大で怒りがこみあげてきます。
 また、先輩の入院手続きをした友人は、「入院保証金十万円が必要」と言われて持参したけど、窓口で「コロナの場合は公費負担のため保証金は必要ない」と言われたそうです。当然かもしれませんが、この公費負担のことをあらためて知り驚きました。医療崩壊状態で入院先が決まらず自宅で待機する罹患(りかん)者や、急変を心配しながら自宅やホテルで療養している罹患者と、国や自治体の公費により入院できて手厚い医療を受けられる罹患者は天国と地獄ほどの違いがあるのでした。
 地域や労組などたくさんの仲間たちの間で、先輩の病状を心配するメールが行き交っていたある日、「まだ危険な状態だが意識が回復した」との一報が入りました。その後も「ICUから感染症病棟に移動した」「重湯を食べられた」「三分粥(がゆ)から六分粥になった」と、先輩の回復を知らせるうれしいメールが飛び交っていました。
 しかし、長い入院生活が続きながら面会ができず一時的にうつ状態のようになった先輩のために、仲間たちが心配していることを知らせて激励する手立てが必要となりました。コロナ禍のため面会もままならず、激励の言葉を書き込んだ色紙や手紙、支援カンパに取り組みましたが、何よりも頼りになったことは、感染症対応が終了して回復期の地域病院に転院した際に、「対策会議」が持たれたことでした。医者やMSW(医療ソーシャルワーカー)、看護師、友人などが集まり、病状や病院の対応を共有して先輩への具体的な対処方針を定めて行動したのです。その方針の正しさは先輩の回復に鮮明にあらわれて、仲間たちのありがたさが身に染みました。
 このたびのコロナの世界的感染拡大は、決して想定外の出来事ではありません。人類の歴史を振り返れば、各国政府が「新たな感染症」に対して備えることは、国民の命を守るための当然の義務であったことが明らかです。とくに日本では、小泉改革を前後して公務員の削減が大きく行われ、感染症対策を含む医療・福祉・介護など社会保障の後退が顕著です。自宅で亡くなられた二百人を超える人は長く続く自公政権による犠牲者ではないでしょうか。
 政府は一都三県に発出していた緊急事態宣言を間もなく解除しようとしています。額に汗して働く国民のための政府が今ほど必要だと実感した時はありません。回復に向けてリハビリにがんばる先輩が退院してきたら若輩の私もいっしょに行動したいと思います。


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