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労働新聞 2021年3月5日号 8面・通信・投稿

ベートーベンって何だろう

生誕250+1周年に思う

東京・大野 進一郎

ベートーベンを知るためのまわり道
 昨年はベートーベン生誕二百五十周年でしたが、コロナ禍で多くの演奏会やイベントが中止されました。それでもテレビでは特集番組が放送され、ベートーベンの西洋音楽史における作品の重要さや革新性、人物にまつわる逸話が語られていました。
 しかしながら、内容はこれまでも語られていたものばかりでした。せっかくの二百五十周年なのだから、西洋音楽の成り立ちとその背景にあるヨーロッパ社会も説明したらいいのにと思った次第です。
 フランス革命の最中(さなか)の一七九二年、ウィーンでピアニストとしてデビューしたベートーベンにとって、ピアノは不可分な存在でした。しかし、そのピアノが当時の社会や経済の動きと深く関わっていることを語られることはほとんどありません。
 また彼の人物についても、ゲーテやナポレオン、フランス革命との関連で語られますが、当時のヨーロッパ社会がどのような経過をたどってきたのか、キリスト教のヨーロッパ社会での存在とは何なのかが語られることはありません。
 以下の話にはベートーベンの逸話はありません。ベートーベンを絡めながらも普段あまり触れられないヨーロッパの話です。なお、文中の西洋音楽とはクラシック音楽のことです。

キリスト教が君臨するヨーロッパ世界
 中世ヨーロッパ(四世紀〜十五世紀)の前の古典ギリシャ・ローマ時代は「精神労働は手や体を使う労働よりも尊い」という価値観で、思弁が重要視されていました。音楽も思弁が第一であり、宇宙や人間の秩序・調和、存在の神秘を見出すためのもの、人格を高めるためのものとされていました。
 三九二年にローマ帝国の国教となったキリスト教は、日本における鎮護国家としての仏教とは異なり、教会(ローマ教皇を中心とする聖職者の組織)をこの世に「神の国」を出現させるものとして位置づけ、国家を超越するものとしました。聖書の内容はすべて正しく、その解釈はラテン語を使える上級聖職者だけが行い、ラテン語を使えない聖職者は下級扱いされ、信徒は信仰し喜捨するだけの存在とされました。
 「金持ちは天国には行けないので喜捨しなさい。お返しは天国で」と世俗の財貨と土地を集め、荘園領主となって教会は勢力を拡大しました。西ヨーロッパの中核を統一したフランク王国では約三分の一が修道院・教会領となったほどです。まさに坊主丸儲(もう)けの世界です。
 古典ギリシャ・ローマ時代の観念を取り入れたキリスト教にとっても、音楽は思弁が第一であり、歌はキリストを讃えるためのものでなければならず、娯楽のための音楽や民族音楽は世俗として否定されました。こうした観念はヨーロッパ社会に深く影響を与えました。それは中世から近世・近代へと続き、現代までも影響を与えています。
 この精神労働を肉体労働の上位に置く思想は宗教特有のものではありません。少数者が多数者を支配する階級社会の必然的な思想です。
 修道士が音楽を思弁するにはどんな条件が必要だったのでしょうか。古典ギリシャ・ローマの哲学する人たちの思弁する時間は奴隷労働によって支えられていました。同じように修道士たちの時間・「修道士の暇」は、信徒からの喜捨と修道院のもつ荘園からのあがりによって賄われていたのです。

西洋音楽は「修道士の暇」から?
 九世紀頃にグレゴリオ聖歌が生まれました。八〇〇年に神聖ローマ皇帝となったカール大帝は、「グレゴリオ聖歌を用いなければ死罪にする」と聖職者を脅迫し、聖歌を使ってキリスト教以前からあった各地の宗教とその音楽を駆逐し、教会権力と世俗(国家)権力の強化を図りました。そうして聖歌は短期間にヨーロッパ中に広がりました。聖歌は単に神を讃えるだけでなく、布教と支配の道具でもあったのです。
 グレゴリオ聖歌は西洋音楽に大きな影響を与えました。それはネウマ譜という記譜法の発明です。この記譜法の登場はそれまで口承で伝えられてきた音楽を記録して理解しやすいものに変えました。記譜法は発展し、十一世紀には四本線になり、十七世紀には五本線となりました。現代の五線譜です。
 また、音の可視化は合理的で論理的な音楽理論の基礎ともなりました。西洋音楽が洋の東西、民族の音楽文化の違いを越えて自由に演奏できるのは、西洋音楽に合理性と論理性があるからです。それはネウマ譜がきっかけであり、そのネウマ譜は「修道士の暇」の結果です。
 しかし、西洋音楽の発達は教会音楽の力だけによるものではありません。教会が禁圧した世俗音楽は廃れず、王侯貴族たちの宮廷では宮廷音楽として発展し、吟遊詩人に代表される民間音楽家はヨーロッパのあちこちで活動していました。西洋音楽は聖俗双方の融合の結果です。
 西洋音楽史上では、中世、ルネサンス、バロックを経て、ハイドンやモーツアルトの時代を古典派時代と呼んでいます。この時代に登場したのがベートーベンです。彼は古典派の音楽を娯楽音楽から芸術と呼ばれるものにし、さらに古典派の様式を突き詰めて古典派時代を終わらせてしまいました。それほどベートーベンの音楽の到達した地点は大きいものでした。
 彼を育んだ環境は偶然の産物ではありません。それは市民階級の成長によってつくられたものでした。

中世都市の誕生と「市民」の成立
 市民階級の成立と成長は音楽の世界にも影響を与え、ピアノの発明と成長にも及びました。
 十一世紀末から十三世紀後半にかけてのキリスト教徒による十字軍遠征は、イスラム世界との交流を促し、ヨーロッパ世界の商業の復活と中世都市を誕生させました。その結果、これまで聖職者と騎士(貴族)と農民から成り立っていた社会に、都市の住人である商人と職人という「市民」が加わりました。また、このイスラム社会との交流は後のルネサンス(十四〜十六世紀)の動機ともなりました。
 数次にわたる十字軍は失敗に終わり、封建領主である教皇と諸侯、騎士の没落の契機となりました。以降、商業と産業の発展とは裏腹に、王侯貴族たちは次第に零落の道を進むことになります。
 ルネサンスは古典ギリシャ・ローマの文芸復興運動で、ギリシャ語とラテン語を駆使する一部の知識層のものでした。中世ヨーロッパの公用語はラテン語で、学問の習得はすべてラテン語で行われました。ラテン語の使用は聖職者と知識層に限られ、こんにちでいう英語やフランス語、ドイツ語を「俗語」と蔑んでラテン語の読み書きのできない人を知的世界から排除していました。
 しかし、現実の経済活動と技能改革は、印刷機の発明による俗語の書籍の出版などと相まって、商人と職人の間に「読み書きソロバン」を普及させ、商業・産業のさらなる発展の原動力となりました。
 ヨーロッパ各地の都市を拠点として発展する商業・産業は、大航海時代(十五〜十六世紀)を経て、商業資本のさらなる蓄積を進めました。その結果の一つが、一六〇二年の世界初のオランダによる東インド会社という株式会社とアムステルダム証券市場の成立です。徐々に市民階級は近代資本主義を準備し、ブルジョア革命の力を蓄えたのです。

音楽のパトロンに成長した市民階級
 ピアノは十八世紀のヨーロッパの経済や社会の動きと密接に結びついていました。
 一七四三年にはライプツィヒで世界初の市民階級によるオーケストラがつくられました。それまでオーケストラは宮殿や城のサロンを演奏会場としていた王侯貴族や一部の大富豪しか聴くことができないものでしたが、ゲヴァントハウス管弦楽団と呼ばれるこの市民階級のつくったオーケストラの登場により、カネを払えば誰でもオーケストラ演奏を聴くことができる社会が到来しました。
 市民を聴衆とした千人、二千人という大きな劇場やコンサートホールの出現で、ピアノには音量の増大や響きなどの音質の向上が要求され、製作者は改良を進めました。こうした改良は「特許」として製作者の権利とされました。これは他の楽器についても同様です。
 一方、王侯貴族の衰退は宮廷音楽家たちの職を奪いましたが、誰でも入れる劇場やコンサートホールは音楽家たちの受け皿ともなりました。宮廷での娯楽的な音楽だけでなく、作曲家自身の内的発意による音楽も求められるようになっていきました。市民階級の成長は音楽の内容にも影響を与え、ベートーベンのような教会や宮廷から独立した音楽家を生む環境をつくったのです。
 八九年のフランス革命と諸国の革命への介入は、王侯貴族たちのさらなる没落と市民階級の伸張を促しました。ピアノは貴族ばかりではなく市民階級の間にも広く普及することとなり、その需要の大きさが産業革命とも相まって、ピアノの製造は手工業生産から工場制生産へと変わっていきました。

初代ピアノの申し子〜ベートーベン
 ピアノはイタリアのクリストフォリという楽器職人によって一七〇〇年頃に原型がつくられました。その後、多くの者による改良の結果、現代の鍵盤数八十八鍵が標準の楽器となりました。
 作曲家は楽器の能力を超えて楽曲を作ることはできませんので、一連の改良による音域の拡大は作曲に大きな影響を与えました。例えば、ハイドンの使っていたものは六十三鍵、モーツアルトのものは六十一鍵であり、ベートーベンのものは年を追って六十一鍵から六十三、七十三、七十八鍵と音域が拡大していきました。
 音域や音量、音質が改良されて表現力が豊富化し、ピアノは楽曲の表現や楽想に大きな変化をもたらしました。モーツァルトとベートーベンの音楽上の違いは、互いの感性の違いばかりでなく、ピアノの性能とも深い関係があるのです。
 ベートーベンは生涯にわたり多くのピアノ曲をつくりました。そのなかの三十二曲のピアノ・ソナタの創作時期はピアノの音域の拡大との関係がいわれます。また、進化するピアノを使った表現力の追及が、彼の交響曲などの作品に影響を与えたといわれています。一連の作品は、彼の天才と不屈の精神の結晶でもありますが、ピアノ製作者(他の楽器製作者も同様)の改良と技術力があって成り立ったものでもあります。このピアノの能力を十分に引き出しながら作曲したベートーベンはピアノの申し子といっても過言ではありません。
 ちなみに、ベートーベンが使用したピアノは製作者から無償で寄贈されていました。その理由は、有名な演奏家や作曲家に使用されることがピアノの売れ行きに影響したからです。すでにこの時代に現代のような方法の商戦が繰り広げられていたのです。
 以上、ジグザグしながらも少し違った角度からヨーロッパ社会を眺めましたが、ベートーベンが時代の申し子でもあることが感じられるのではないでしょうか。


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