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労働新聞 2020年8月5日号 8面・通信・投稿

カエルの嘆き、人の選択

ヒトは世をひっくり返せるはず

兵庫県・大村 一路

 わが「ミズホノクニ」では、稲作の将来は今や風前の灯火だ。「神の国」を誇る一方で新自由主義の効率一辺倒の嵐が吹きまくるこの国では、技術や勤労の精神は子から孫、孫からひ孫、やしゃ孫と勝手に伝わる時代ではなくなった。
 私は自家水田の約半分、十アール余りでイネを育て、他で野菜草花や果樹を直売所に出荷している、農家とも言えないマイクロ経営をしている。かつてはもっと多くの水田を持っていたが、市街化区域に変わり、宅地並みの固定資産税の負担に耐えられず縮小を続け、今の規模になった。
 イネは「土つくり」から始まるが、私は八十八夜の花盛りの赤クローバーを緑肥としてこき込む。そのころ苗箱にモミを蒔き、三十五日くらい育ててから代掻き(しろかき、水を導いた田を耕して土を柔らかくする)して田植えを行う。今はどこでも乗用田植え機で植え付けるが、わが家ではいまだ歩行型二条植え田植え機だ。
 子どもやその友だちや孫が体験しに来る。こんな機械は試験場の品種試験や千枚田などでかろうじて使われているだけである。一反歩植えるのに約二時間半かかるが、昔は大苗を人を頼んでの手作業であった。六条や八条植え機なら二十分くらいで植え終えてしまう。
 一週間ほどして根付いたら、ノビエやイグサ、コナギ、オモダカといった水田雑草が芽吹いてくる。一般に田植えと同時に発芽抑制作用のある除草剤をまくと大部分の雑草が抑えられる。雑草が芽吹いて生長する頃にイネの条間を除草機でかき回したり埋め込んだりして除草を行う。うちでは昔ながらの田車を押して除草する。
 なかなかの運動量である。一日ではしんどいので何日かに分けて全面を除草する。こんなことをしていると、人の体力とは生産活動のためにあるべきだとつくづく考える。だが一方、スポーツというはつらつとした身体能力の労働からの解放は素晴らしいことでもある。ただ無駄にプロテインでマッスルをビルドするのはバカげた行為のようにも思えるが。
 株が充分に分げつ(枝分かれ)すると、水を抜いて土中に酸素を行き渡らせる。同時に、いったん成長を止めて分げつを止める。穂を付けない枝の発生を抑えるためである。これを中干しと呼ぶ。わが地方では土用の入りの頃に行う。用水路から水を入れる口を水口(みなくち)、排水する口を落ち口(おちぐち)と呼ぶ。水口を閉じて落ち口を開き、また暗渠(あんきょ、地中の排水路)の口を開いて土中の水を抜く。こうして次のステージである二百十日頃の出穂(稲穂が開花するために茎が伸びる)に備える。
 代掻きで、田に水を引き入れると、あちこちの水路に生き延びていたカエルたちがグーグーゲロゲルケロケロといっせいに鳴き出す。田植えが終わると産卵された卵が孵化(うか)し、オタマジャクシが泳ぎ回る。成長し脚が生え尾が消えてカエルになろうとする。ホウネンエビやカブトエビも湧き出す。
 ところが中干しが始まると大変な悲劇が始まる。水を抜くと徐々に水が減り、あちこちに水たまりができる。田んぼから流れ出たものや脚の生えたオタマジャクシは水路に逃げ出して生き延びることができる可能性がある。しかしまだ脚の生えていないエラ呼吸のオタマジャクシはあちこちの徐々に浅くなる水たまりに殺到する。このオタマジャクシ大衆は、徐々に水位が下がり、はじめは意識しないで、そのうち異変に気付いて小さくなっていく水溜りに殺到し、数日の日照りの中で苦しみあがき、のたうち回る間もなく死んでいく。イネの株の林のあちこちで死臭が漂い、そして干からびる。1週間ほど後再び水が入れられて、これらは微生物により分解され、イネの養分となって米粒を育て、豊かな実りになり、次のイネやヒトの命となる。また、オタマジャクシやカエルたちは鳥や蛇に食べられて命の循環に貢献する。
 命の循環といえば、ヒトという種で生き延びていくことで、めでたしめでたしと無駄なく正当化されるが、個々人の集団と置き換えると、これは大変な人権無視である。脚という資産を持ったものは水がなくても繁殖活動し自由にわが世を謳歌(おうか)するが、一定量の資産を持たない者たちは水たまりというセーフティネットがない限り生き延びることができない。カエルたちは世の中をひっくり返すことはできないが、ヒトは水が減ることに対応し、これをやめさせることができるのに、徐々に減る水を見て少しでも水の残っているほうへ向かって逃げ込んだとしても、そこには命の保障なんてないのだ。
 私は、カエルの命の水を止めないよう水口を閉じさせず、落ち口を開かせないよう、そして最低限の人間として生きるための脚や水たまりが確保される社会をつくらなければならないと思いつつ、コメという利益のために水口を閉じ落ち口を開いた。


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