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労働新聞 2020年7月15日号 8面・通信・投稿

熊本の豪雨災害から

国の責任逃れもう許されない

熊本県・小崎 雄一


 七月三日から四日にかけて、記録的な豪雨が九州を襲った。熊本市在住である私の周辺では大きな被害は出なかったのだが、南部を中心に十一日時点で、熊本では六十人が死亡、行方不明が九人となった。老人福祉施設で十四人が亡くなったのをはじめ、その九割が高齢者だという。鉄道橋が三本、道路橋も十四本流出。球磨川の堤防決壊が二か所、氾濫が十一か所にもおよび、ライフラインは寸断され、今なお孤立した集落も多い。
 大被害を出した豪雨はその後、岐阜や長野などにも広がり、さらにその後も断続的に降り続いている。被害はまだ続いており、地域の産業、商店や旅館、農業や中小企業などへの被害の全容が分かるのはこれからだ。亡くなられた方の冥福を祈るとともに、被害を受けた方々に心からお見舞いを申し上げたい。

浸水被害は予想されていた
 それにしても何という大雨か。「数十年に一度」「五十年から百年に一度」と言われ、気象庁は「予測が難しかった」と言う。被災した人たちは「みるみる間に水位が上がって、逃げる暇もなかった」「滝のような水が押し寄せた」と状況のすさまじさを述べている。
 こうした豪雨について、気象庁は「この三十年で局地豪雨は一・四倍に増えた」と言っている。実際、ここ数年の水害の多発と被害の増大はひしひしと感じられる。二〇一七年の九州北部豪雨、一八年の西日本豪雨、一九年の台風十九号、そしてこの七月である。
 今回の豪雨で全国の百十五の河川が「氾濫危険水位」を超えたという。これから先、水害・土砂災害の可能性は全国いたる所でますます高まっていこうとしている。
 地元紙の社説も「地球温暖化の影響で、これまでの災害経験が通用しない時代になっている」と書いているが、多くの専門家が温暖化の影響を指摘し、水害や土砂崩れなど被害が増えることは予測していた。
 洪水を繰り返してきた球磨川でも、広範な浸水被害は予想されていた。一七年に国土交通省八代河川道路事務所が公表した球磨川水系の「洪水浸水想定区域」、ハザードマップと今回の浸水地域はほぼ重なっていた。「記録的大雨」とは言え、今回の災害の可能性はある程度的確に指摘されていたと言えるのではないか。
 球磨川水系では全国に先駆けて事前防災行動計画(タイムライン)が二年前から運用されていたが、住民からは「タイムラインの存在を知らなかった」との声もある。
 今回の災害直後の七月六日、国交省は洪水や巨大地震に備える防災・減災総合対策を公表、「ダム・堤防だよりから転換し、あらゆる関係者により流域全体で行う流域治水が必要」と言っている。だが、国の治水予算は〇〇年の一・三兆円から一〇年には〇・六兆円と半減、最近でも低水準に据え置かれている。「流域治水」は、国の防災の責任を棚上げにして、自治体や住民に責任を押し付けようとする狙いが隠されている。
 増大していく災害に対して、その対策は待ったなしで進めなければならない。国はもっと予算をかけ、本当に国民の命を守る対策を実行すべきである。気候変動や温暖化対策でもいい加減な態度はもう許されない。

間に合わなかった県の対策
 今回の被害を受けて、蒲島知事は、治水対策には「多額の資金が必要で、この十二年間実現できなかったのが非常に悔やまれる」と述べた。
 球磨川の治水については、一九六六年、最大の支流である川辺川にダムを造る計画が出され工事が始まったが、その後地元の反対の声の高まりを受けて、二〇〇八年に蒲島知事が「ダム計画の中止」を発表した。
 その後は「ダムによらない治水」をめざして、堤防のかさ上げや川底掘削、遊水地の設置など十もの案が出され検討されていた。だが事業費が二千八百億円から一兆二千億円、工期が四十五年から二百年にも及ぶことから、流域の首長から実現可能性を疑問視する声も出ていた。
 結局、対策は間に合わず、大きな被害につながってしまった。知事は「今回の災害を国や流域市町村と検証する」としているが、対策の遅れの責任が問われる。
 また、一部で「ダム建設の復活」も危惧されている。川辺川ダム建設中止は、多くの県民や地元自治体の意向で決まったもので、その「復活」は許されるものではない。
 国の責任も重大だが、住民と接する自治体の役割もますます重要になる。今回の災害でも、多くの市町村の職員や防災組織が、わが身を顧みず必死になって奮闘された。心から敬意を表し、住民の命と暮らしを守るために、ともに努力したい。


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